90言葉01
作者
  四耐したい-曾国藩(1811-1872)中国
 


人生、
  冷に耐え、(冷遇に耐える)  
  苦に耐え、(苦労に耐える) 
  煩に耐え、(煩わしさに耐える)  
  閑に堪え、(閑静かに耐える)
  激(げき)せず、(つまらないことで怒らず)
  躁(さわ)がず、(些細なことで騒がず)
  競(きそ)わず、(競争してはいけない、自分のレベルで生きなさい)
  随(したが)わず、(己の強さを信じ従ってはならない)
もって大事を成すべし 
 


  士規七則 漢文と読み下し文と意味 吉田松陰(1830-1859)  
  披繙冊子。嘉言如林。躍躍迫人。顧人不讀。即讀不行。苟讀而行之。則雖千萬世不可得盡。噫復何言。雖然有所知矣。不能不言。人之至情也。古人言諸古。今我言諸今。亦?傷焉。作士規七則。

。凡生為人。宜知人所以異於禽獣。蓋人有五倫。而君臣父子為最大。故人之所以為人忠孝為本。
。凡生皇國。宜知吾所以尊於宇内。蓋皇朝萬葉一統。邦國士大夫世襲禄位。人君養民。以續祖業。臣民忠君。以継父志。君臣一體。忠孝一致。唯吾國為然。
。士道莫大於義。義因勇行。勇因義長。
。士賢以質實不欺為要。以巧詐文過為耻。光明正大。皆由是出。
。人不通古今。不師聖賢。則鄙夫耳。讀書尚友。君子之事。
。成徳達材。師恩友益居多焉。故君子慎交遊。
。死而後已四字。言簡而義廣。堅忍果決。確乎不可抜者。舎是無術也。

右士規七則。約為三端。曰立志以為萬事之源。選交以輔仁義之行。讀書以稽聖賢之訓。士苟有得於此。亦可以為成人矣。
 

冊子を披繙( ひはん) すれば、嘉言( かげん) 林の如く、躍躍( やくやく) として人に迫る。
顧( おも) ふに人読まず、即 も し読むとも行はず、苟くも読みて之を行はば、則ち千万世( ばんせ) と雖も得て尽す可からず。
噫( ああ) 、復た何をか言はん。
然りと雖も知る所有りて、言はざること能はざるは、人の至情なり。
古人は諸( こ) れを古( いにしへ) に言ひ、今我は諸れを今に言ふ、亦た?( なん) ぞ傷( いた) まん。
士規七則を作す。

。凡そ生まれて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。蓋し人に五倫*1有り、而して君臣父子を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は忠孝を本と為す。
。凡そ皇国に生まれては、宜しく吾が宇内( うだい)に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝
(こうちょう) は万葉( まんよう) 一統にして、邦国( ほうこく) の士大夫、世々に禄位を襲( つ) ぐ。人君は民を養ひて、以て祖業を続( つ) ぎ、臣民は君に忠して父志( ふし) を継ぐ。君臣一体、忠孝一致たるは、唯だ吾が国のみ然りと為す。
。士道は義より大なるは莫し。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。
。士道は質実欺かざるを以て要と為し、巧詐( こうさ)
文過(ぶんか) を以て恥と為す。光明正大、皆な是に由りて出づ。
。人、古今に通ぜず、聖賢を師とせずんば則ち鄙夫( ひふ) のみ。読書尚友( しょうゆう) は君子の事なり。
。盛徳達材、師恩( しおん) 友益( ゆうえき) 多きに居り。故に君子は交遊を慎む。
。死して後已( や) むの四字は言( げん) 簡にして義広し。堅忍果決、確乎として抜く可からざる者は、是を舎(お) いて術(すべ) 無きなり。

右、士規七則は、約して三端と為す。
曰く、立志を以て万事の源と為し、選友(せんこう) を以て仁義の行を輔(たす) け、読書を以て聖人の訓を稽(かんが) ふ。
士、苟くも此に得る有らば、亦た以て成人たる可し。
 
  書物に溢れる偉大な言葉の数々は人の感奮を興起させる。
しかし、今の人々は書を読まず、読んだとしても実行をしない。
もしも読みて実行したならば、千年万年と受け継ぐに足るものなのである。
ああ、また何をか言うべきことがあろうか。
そうは言っても、良き教えを知りてどうしても伝えたくなるのは、人の至情である。
だから古人はこれを古(いにしへ) に述べ、私は今これを述べる、また何を憂えることがあろうか。
士規七則を作す。

。およそ人として生まれたのならば、人の禽獣と異なる所以を知るべきである。そもそも人には五倫があり、その中でも特に父子の親と君臣の義を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は忠と孝を本と為す。
。およそ日本に生まれたのならば、日本の偉大なる所を知るべきである。日本は万世一統にして、地位ある者たちは世々に禄位を世襲し、人君は民を養いて祖宗の功業を継ぎ、臣民は君に忠義を尽くして祖先の志を継ぐ。君臣一体、忠孝一致たるは、ただ吾が国においてのみ自ずから然りと為す。
。士の道は義より大なるは無し。義は勇によりて行われ、勇は義によりて長ず。
。士の道は質朴実直にして欺かざるを以て要と為し、偽り飾るを以て恥と為す。公明正大なること、皆これより始む。
。古今に通ぜず、聖賢を師としなければ、くだらぬ人物となってしまう。故に読書して古人を友とするは君子の事である。
。盛徳達材は、師の教導と友との切磋琢磨をどれだけ経験するかである。故に君子は交遊を慎む。
。死して後已(や) むの四字は簡単な言葉だが言うところは遠大である。堅忍果決、何事にも動ぜざる者は、この言葉を置いては成る術は無い。

この士規七則は、要約すれば三点である。
即ち、立志を以て万事の源と為し、選友(せんこう) を以て仁義の行を輔(たす) け、読書を以て聖人の訓を稽(かんが) える。
士たる者、もしもここに得ることが有れば、また人と成るに足るであろう。
 
  友は一生の宝。

孤独な秀才よりも友多き凡才たれ。

国は悪によって滅ぶにあらず愚によって滅ぶ。

一国は一人を以て興り、一人を以て滅ぶ。

人に始まり、人に終わる。

一国は一人によって興り、一人によって滅ぶ。

一国一城の運命は”人”で決まる。 - これが歴史の示す厳しき方程式である。ゆえに”人”を育てねばならない。

いい生活より いい人生を。

能力の差は小さいが、努力の差は大きい。

教育は人間を、人間は世界を変える。

百年の大計は教育にあり。

偉い人になるのもいい、優れた人になるのもいい。人のお役に立つ人間になりなさい。

国の滅びるは悪によらずして、その愚による。

継続は力なり。

鉄が使用せずして錆び、水が腐り又は寒中に凍るように、才能も用いずしてはそこなわれる。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

人間の価値は「能力×情熱」(稲盛 和夫)

「泣いて暮らすも一日、笑って暮らすも一日、同じ一日なら笑って暮らさにゃ損たい。」

「めだかのごと弱か人間同志、助け会うて生きていかんばねー」

記憶は一生、記録は末代。

一冊の書物は人間の人生を変える

人間で一番大事なものは、学歴でも肩書きでもお金でもない。丈夫な身体と健康な心である。

もし人生を変えたければ、まず自分自身の考えから変えなくてはいかん。

人生は勇気だよ。仕事の勇気。遊ぶ勇気。決断の勇気…そして勇気は言う気によって行動化され、具体化されるんだ。

人類は無数の不可能を可能にしてきた。そのひとつは発明によって、そしてもうひとつは練習(努力)によってである。 (小泉 信三)

万巻の書を読むこともいいが、優れた人物に会うことがどれだけ人生の勉強になるかもしれない。

人間の一生は、心構えで決まる。

怨みは水に流し、恩は石に刻む。

人生に絶望なし。いかなる人生にも絶望はない。(中村 久子)

言葉が人を、人が歴史を動かす。

仕方のないことにクヨクヨしない。

人生は夢の実現。

志は高く、愛は深く。

高き山に水はとどまらず、おごる心に幸福はとどまらず。(モンゴルの英知)

百歳の人はいない。千年の言はある。(モンゴルの英知)

愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

大河ナイルはエジプトを生み、教育の大河は新世紀を生む。

「教育」が「人間」をつくり、「人間」が「世界」をつくる。

興味は「無限」の扉を開く鍵だ。

オリンピックで重要なのは勝つことではなく参加すること。ちょうど人生で最も重要なのは、成功することではなく努力することであるのと同じように。(クーベルタン男爵)

倉は万両、子は宝。

白金も黄金も玉もなにせむに まされる宝 子にしかめやも(山上憶良)

十億の人に十億の母あらんも、我が母にまさる母ありなんや。

子に優る財(たから)なし。

赤ちゃんは毎日の環境の全ての刺激に従って、いろいろに能力が育っていく。(鈴木 鎮一)

生命はおかれた環境の中で環境に適応して能力を身につけていく。(鈴木 鎮一)

人は環境の子なり。

極楽は遠きかなたと聞きしかど、わが極楽はこの身このまま(平澤 興)

「私は、未来を担う子供たちには、より賢く育ってほしいのです。高い能力を基盤とした優れた人格をもった人こそが、世界を平和により良く建設していってくれる、と信じるからです。」(公文 公)
 
  "守られている
ありがたさよ
生かされているうれしさよ
朝に夕に
手を合わせよう
感謝のまことを
ささげよう"
 
  黒澤止幾子  
  "人を動かすは言にあらずして行にあり、
百言に非ずして一行にある"
 
  松下幸之助  
  "人間は行き詰まりということは絶対無い。
行き詰るというのは、自分が行き詰ったと思うだけのことである。"

吾唯足知
無い事を嘆かず、あるものに感謝する

 
  西村幸子  
 

寝る前になりたい自分の姿を十項目書いてから寝ると願いが叶う

成功した人は皆「困難に感謝している」ということです。

「諦めなければ失敗はない」

 
  松下政経塾 塾是 塾訓  
 

塾是
真に国家と国民を愛し
新しい人間観に基づく
政治・経営の理念を探求し
人類の繁栄幸福と
世界の平和に貢献しよう

塾訓
素直な心で衆知を集め
自修自得で事の本質を究め
日に新たな生成発展の
道を求めよう

 
  松下政経塾 五誓  
  素志貫徹の事
常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある。
自主自立の事
他を頼り人をあてにしていては事は進まない。自らの力で、自らの足で歩いてこそ他の共鳴も得られ、知恵も力も集まって良き成果がもたらされる。
万事研修の事
見るもの聞くことすべてに学び、一切の体験を研修と受けとめて勤しむところに真の向上がある。心して見れば、万物ことごとく我が師となる。
先駆開拓の事
既成にとらわれず、たえず創造し開拓していく姿に、日本と世界の未来がある。時代に先がけて進む者こそ、新たな歴史の扉を開くものである。
感謝協力の事
いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない。常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、真の発展も生まれてくる。
 
  ありがとうおじさんのお話し 言葉のちから  
 
『「ありがとうございます」という言葉は不思議な力を持ってます』の40項を朗読します。
  プラスの言葉を使えば、運命が善くなるのです。マイナスの言葉を使えば、運命は悪くなるのです。これは法則なのです。

  法則というのは、万人に対して平等に働くものです。運命を善くする秘訣は、プラスの言葉の方を多く使うことなのです。言葉が心を定め、運命を定めるのです。 プラスの言葉は、プラスの心を創り、プラスの運命を造るのです。マイナスの言葉は、マイナスの心を創り、マイナスの運命を造るのです。自分の心も、自分の運命も、自分の使う言葉によって定まるのです。
 
 人は白分の使う言葉を、自由に選択できるのです。
プラスの言葉を選んでも、マイナスの言葉を選んでも、自分の自由です。言葉は諸刃の剣なのです。プラスの言葉は、自他を生かし、マイナスの言葉は、自他を殺すものなのです。

  プラスの言葉を使えば、プラスのみを見、プラスにのみ見てゆけるのです。マイナスの言葉を使えば、マイナスのみを見、マイナスにのみ見てゆけるのです。どちらの生き方も自由に選べるのです。

  みんなの所為で悪くなったと言えば、マイナスの言葉を使っているのです。みんなのお蔭で善くなったと言えば、プラスの言葉を使っているのです。結局は自分の言葉次第で、みんなを悪く見たり、善く見たりしているだけなのです。すべては自分の使う言葉通りになっていることに、一刻も早く気付く必要があるのです。
 
 マイナスの言葉を使えば、他をマイナスに見、マイナスに思うことになるのです。他をマイナスに見、マイナスに思えば、再びマイナスの言葉を使うことになりがちです。悪循環になるのです。この悪循環を断ち切る為には、プラスの言葉を使うしか方法は無いのです。何が何でもプラスの言葉を使うことなのです。

  プラスの言葉を使い続ければ、必ずプラスに見、プラスに思えるようになるのです。卵が先か、鶏が先かの問題と、同じでは無いのです。常に言葉が先にあるのです。先ず言葉が先にあって、すべてはその後に従うものなのです。
  プラスの言葉だけを駆使し続ければ、すべてを楽天的に・楽観的に見てゆけるのです。神さまの御心 (全徳の無限の無限の輝き)をこの世に現す為には、無限の無限のプラスの言葉をしっかりと駆使すれば良いのです。

  今迄の姿は、過去に駆使した言葉の結果です。未来の姿は、これから駆使する言葉によって定まるのです。自分の見ている世界は、自分の言葉による表現なのです。自分の使う言葉通りに、自分の見ている世界は成るのです。

  無限の無限のプラスの言葉を、寝食を忘れる程に、一心不乱に唱え続ければ、必ず奇蹟的に現実のマイナスは消え去っているものです。現実のマイナスに対しては、『見ざる・聞かざる・言わざる』が、マイナスを早く消し去る方法なのです。
 
  グット・ウィルグループ 折口雅博会長の言葉  
  夢を実現ささせようと強く念じていれば
仕事の力も自動的に上がります
成功しようと思えばこそ
人の何倍もの努力を惜しまず
少しでも良いやり方を考えます
強く念ずることで諦めない

その通りです
「運が無かった」とか「あの人は運に恵まれてる」
そんな言葉は他責だけでしかない

氏は「ジュリアナ東京」で成功したが
利権争いに負け巨額の借金だけ残った
トイチの高利貸しを借りても夢は忘れなかった

そして復活
その念ずる念の強さに敬服する


  二宮尊徳  
  問題というのは、草花のように小さな種から徐々に成長し大きな実をつける。

次に問題の段階を示します。貴方はどの段階で問題を捕らえ対処していますか?
貴方は大農・中農・小農?
長者は不況にこそ儲ける、凡人は不況を乗越える、貧者は不況で倒産する
長者は好況に必死に努力する、凡人は好況に対処する、貧者は好況に甘んじる

大農   1.種の保存(問題は全くないが危険は存在している)
  2.種を蒔く(問題の種が蒔かれた)
  3.地面下で種膨らむ(問題の種は地面下で働き開始)
  4.発芽(まだ小さい問題が出始めるが気付く人は、まだいない)
中農   1.成長(まだ問題は小さいが先見性のある人は警告を発する)
  2.成熟(問題は少しづつ目につくようになる)
  3.開花(問題はかなり目立ち、対策に走るようになる)
  4.受粉(問題は深刻になり、解決も困難になり始める)
小農   1.実り(問題は大きくなり日々対策に追われる)
  2.刈取り(問題は重大になり、とり返しがつかない状況になる)
  3.枯れる(問題は致命傷になり、対策してもどんどん悪化する)
  4.落葉(ついに破滅する)

二宮尊徳の発見したもの:「二宮先生語録」斎藤高行 http://www.jmca.net/booky/takeshita/ryosyo28.html から
0貧富の分かれ道
遠きを図る者は富み、近くを図る者は貧す・それ遠くを図る者は、百年のために杉苗を植う。まして春蒔きて秋実るものにおいておや。故に富有り。
近くを図る者は、春植えるものをもなお遠しとして植えずしてただ眼前の利に迷うて、蒔かずして取り、植えずして刈とることにのみ眼をつく。
富と貧とは、もともと遠くへだつるものにあらず。ただ初めに少しの隔てあり。

1.わが道はもっぱら至誠と実行にある。およそ世の中は、知恵があっても学があっても、至誠と実行とがなければ事はならぬ。
2.書物を読んで実行しない者は、ただ覚えていて人の問いに答えるだけである。だから沢山読んでおく必要がある。ところが、いざ実行する段になれば、一字一句さえ、一生涯行っても行いきれないものである。書物はただ沢山持っているだけで実行しなければ読まないのと同じでことである。
読書は縦糸であり、実践は横糸である。
3.「天道」と「人道」は決して同じものではない。自然が天道で、もっぱら作為に努めるのが人道である。天道に従って、自分ではなにもせず秋のみのりを争うのが鳥獣で、人道により自然に逆らって農事に努めた上で秋のみのりを食うのが人間なのだ。
4.天道自然にまかせておけば、田畑は荒れ、家屋は壊れ、衣服は破れる。このようにならないように努めるのが人道で、自然でないからこそ、努力しなければ続けることはできない。
5.天地はもとより増減がない。人道というのは、怠れば減じ、勤めれば増す。耕作しなければ百穀はみのらず、蚕を飼いはたを織らなければ衣服はできず、建築しなければ家屋もできない。だから、この世にある者は、どうしても人道を勤めなければならないのだ。
6.天分によって支出の度を定めるのを「分度」という。天分には限りがあるが、贅沢には限りがない。分度と国家との関係は、家屋と土台石との関係のようなものだ。分度を定めた上で始めて国家は経理できる。分度を慎んで守りさえすれば、余財は日々生じて、国を富まし民を安んずることができるのだ。
7.国や家の衰廃を興そうとするには、何よりもまず分度を立てるがよい。分度が立ちさえすれば、分内の財が散ず、荒地はそれで開け借金はそれで償われ、衰えた国も興すことができ、つぶれかけた家も立て直すことができる。
8.国家の分度が立っていなければ、税収がいくら増えても国費は足らなくなる。天分に従って国費を制限し、慎んで分度を守り、分度で生まれた度外の財によって、人民を恵み荒地を拓くことである。こうすれば田畑は増え、税収は元通りになるのだ。
9.国が分度を守るには、まず国自らが節倹してその身を縮めるのである。そこで余財が生じ、それが下に及んで、荒地が拓け、田畑もよく整うようになると、税収も年々増して、その国は必ず再び富むようになるのである。
10.一両の金で荒地1反歩を拓き、その産米を一石と見る。これを全部食って譲り残すことがなければ、100年たってもその田はただの1反にすぎない。ところが、もしそのうちの9斗を食い、あとの1斗を譲って年々繰り返してゆけば、60年後には、相当なものとなる。

11.一粒の米を推し譲ってそれを蒔けば百倍の利益を生ずる。
12.大事を成し遂げようと思う者は、まず小事を努めるがよい。およそ小を積めば大となるものだ。1万石の米は1粒ずつ積んだもの、1万町歩の田は1鍬ずつ積んだもの。だから、小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就する。
13.わが開墾法では、1両の金によって荒地1反歩を拓き、その産米1石として、半ばを食って半ばを譲り、繰り返し開発してやまなければ、60年の総計は、開田24億5048万2253町歩に及ぶとするのである。
14.禍福は1つである。理に従い、道を得る者は福を得るし、理に逆らい、道を失う者は禍を得る。禍福は理に従うか逆らうか、道を得るか失うかにかかっているのであって、決して2つ別々のものではない。
15.仏教では過去・現在・未来を説くがそれらはそもそも1つのものである。また、貧富・栄辱・禍福・吉凶・苦楽・存亡の類も、みな同様に1つのものである。
16.吉凶好悪は「我」に生ずる。「我」がなければ吉凶好悪はあり得ない。吉凶好悪は1つなのだ。人はその半分を吉として好み、その半分を凶としてにくむ。全体がわがものであれば、何の吉凶好悪があろう。
17.歌人は秋の気を物悲しいと言い、無常を嘆く。これは私に言わせれば偏見である。秋というものは百穀が熟して財貨が満ち足りる。何の物悲しいことがあろう。これを偏見に対して「円見」というのだ。
18.日夜炎々たる欲情の中にあって、毅然として動かないことが、不動の徳なのである。この不動の徳を修めたならば、何で家を失ったり国を滅ぼしたりすることがあろうか。
19.よろしく立脚地を定めるべきだ。それを定めずに善悪得失を論じても仕方ない。だから、何の立場から良い、何の立場から悪いと、立脚地を定めて後に論ずるならば、その事柄は明瞭になり、相対と絶対との道理も判然とするのである。
20.争論が生ずるのは、その立脚地を定めないところにある。さだめさえすれば、何の争論もありえないのだ。

21.天地は万物を形造るが、もともと増減がなく、損益もない。それでいて、盛衰治乱、貧富苦楽、安危存亡の違いがあるのはなぜか。それは道の盛衰にあるのだ。この道が盛んであれば国家は富み、この道が衰えれば国家は貧する。では、何を道と言うか。人道がそれである。何を人道というのか。互いに生き、互いに養い、互いに救い、互いに助けることがそれである。暗君はただ己の利をはかって民を虐げ、人民は困窮して、君を敵とし、富者はおごりをきわめて貧者を捨て、貧者は恨みをいだいて富者を仇とし、甚だしきに至っては獣が食い合うような有様となり、人道は滅して弑逆乱離(しぎゃくらんり)の世となる。わが道はそこで、増減損益のない天地にもとずき、君民の盛衰貧富の天分を明らかにし、分を守って推譲し、荒地によって荒地を開き、借財をもって借財を償う。借財は償還されて余剰を生じ、荒地は開き尽くされて米麦を産み出し、財貨は豊かになり、君民・貧富はおのずから和して、互いに生き互いに養い、互いに救い助ける道が再び盛んになるのだ。
22.世人の著す書物は、多くは空言である。身を修め家を整える書物はまだ聞いたことがない。また荒地を開墾し衰村を復興する書物も聞いたことがない。廃国を興す書物などは、なおさらのことだ。みな、いたずらに古書をかすめ取ってきて、空論を拡張するだけのこと、それが実際の役に立たぬのは当り前だ。私の場合はそうではない。荒地を開墾し、廃家を復興し衰村を取り直し、廃国を復興してからこれをしるすのであるから、名実共に備わっている。よろしく私の言行をしるすがよい。これを書きしるせば、これを世々の教えとして千年の後に伝えても、断じて恥ずかしいことはないのだ。
23.一人譲れば一国暖かなり一人奪えば一国足らず。
わが道は片楽を捨てて全楽を取ることにある。
猟師と鳥獣、漁夫と魚のように地獄極楽因縁輪廻して極まらないのを片楽という。
上は税額が多いと喜び下民は大いにこれを苦しむ、
強いものが勝って喜び弱いものが負けて苦しむ、
これらは片楽であって小人凡夫の喜ぶところで如来菩薩のおおいに悲しむところだ。
真楽とは両全の楽をいう。
大気が動き陰陽相和して万物が生ずるのは天地の楽、
根葉相通じ花実繁茂するのは草木の楽、
男女相和し子孫栄えるのは人倫の楽、
農夫が作物のために肥料を与えて喜ばせその後作物の収穫を得て喜ぶのは大本の楽、
君が大きな仁を施し下民が喜んで徳に報いるのは聖人の楽、
貸す人は無利息で貸して貧民の苦を除き共に楽しむのが貧富両全の楽。
およそ両楽で片よらないものは仁で世を救う真楽ではなかろうか。
今これを行う者がないけれど、数百年の後、
真楽菩薩が現れたなら真楽で衆生を救い世界中を極楽にするだろう。

「まことの道は天地不書の経文を読みて知るべし」
                   (二宮翁夜話)

 
  マントラ禅 20061007ニルバーナのプロセスとテクニック ダンテス ダイジ  
  実際的な効果を期待するためには、全身全霊でマントラを唱えることが必要なのである。
この全身全霊で唱えるということが肝要な点であり、マントラ禅として、マントラを精一杯発声、もしく
は念ずる時、そこにこめられた誠意、真心、信頼というものが、最も適切な生体機能を作動させるこ
とになるのである。

なぜならば、知恵の源泉は、生命が現れる本源そのものに、すでに備わっているからである。
例えば、一つの祈りの言葉の場合なら、それは、自分の全てをささげるつもりで祈るのであり、自分
の個人的利益のために、どのように強く祈り、念じたとしても、それはマントラ禅にはなりえない。
あるいは神の発声、神を念じるということ、また日本で開発された。念仏、題目、読経など、いずれ
の場合にも、その中に自分を投げ出し、一心不乱に発声しつづけ、神、あるいは大自然、生命の
本源に自分を溶けこませるつもりで、全身全霊で行うのである。

それが、禅であろうがヨーガであろうが、悟りの直前には、必ず血液もその他の各種のエネルギー
も、人体頭部に向かって逆流する。
いわゆる生物学的健康状態、すなわち頭寒足熱と正反対の状態が起こらねば、霊的開眼はあり得
ない。霊的開眼は、いわゆる人格円満だとか、心身の健康だとかとは何の関係もない。

只管打坐とは、即座に、この生きているまま、この肉体を用い、この世界に生きているまま、無限定
な、永遠なる、覚に目覚めることなのである。神自身が神を神することなのである。

只管打坐の本来の姿勢からすれば、呼吸が限りなく深まっていくということは、人体構造上、絶対
不可能なことである。にもかかわらずそれは起こるのであり、それが実は只管打坐の秘儀というべき
ものなのである。

それは、正しく仏性の側からの促しとして自ら起こるのである。呼吸が限りなく深まり、身も心も宇宙
も消滅したところに、余すところなく絶対性は顕わになるのである。

 
  笑顔の持つ不思議なエネルギー  
 

「肯定的な言葉を使うことで、道が開ける。イメージしたことはその通りになる」

「有難うございます」は単なる暗示用語ではなく、最高の言霊であり、祈りの言葉でした。

それは神様から人間だけがいただいた最高のプレゼントです。

日々笑顔で暮らし、「ありがとうございます」と祈りつつ生きることは、私たちの損得や勝ち負け、成功、不成功という小さな枠を超え、神様と出会う道だと知ったのです。

私たちの人生は、神様が設計されたスーパーカーをレンタルしているようなものです。

神様は最高の車を無料で貸してくださっています。そして、運転は自分で自由にしていいのです。

辛い環境でも笑顔と感謝を忘れずに「幸せ山」に到達するか、いつも口、不平不満ばかりで、「地獄沼」に落ちていくか、それは自分次第です。

神様の車に乗って、自分に与えられた役割に従って運転する、つまり命を運ぶ、運命とはそういうことをいうのではないかと思います。

そして幸せ山に行くいちばんの早道が笑顔と感謝の言葉なのです。

 
  2006年10月14日(土) 到知200501月号  
  「前向きに、明るく、逃げず、知ったかぶりせず」すでに改善と熟慮を重ね、最良の策を模索しながら取り組んでいくこと、そして良いと思ったことは、「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」こと、この二つを心がけ、日々の仕事に取り組んでいきました。

この「ビジョン」をもち、そして「実行」し、「検証」する(PDCA)というものが非常に大事だと考えています。

  感謝  
  人は感謝によって、その相手と心が一つになる。

神に感謝すれば、神と心が一つになり、禍を福に化し、祈りを確実にする。

神に祈り、感謝するとき、その人は神に結ばれる。

「金運を上げたいという願い」を書き留めて下さい。これは目標です。

何回も繰り返し願ってください。そして達成できると信じてください。

「願い」から、全ての否定的なものを取り払ってください。

夫婦なんでやねん敬具円で、分離の部分に権利ください。

感覚や味覚、聴覚などより細かく想像してください。

「願い」が達成することを頭の中で映画のような物語に作り変え、それを鑑賞してください。

あなたが「願い」を達成したとき、周囲がどのような反応をするか思い浮かべてください。

眠る前に「願望」を3回心の中で唱えてください。常にそれを信じてください。

あなたは強力な力を持つことができます。

これらの事を行うことで、あなただけが、あなた自身の「願望」を叶えることができます。

「願望」が叶うと確信してください。そしてそれに向かって突き進んでください

 
  言霊パワーで人生エンジョイ! 越智啓子
到知2006年11月号
 
 

人間の脳のメカニズムで説明すると、言葉、しかも自分で発して音声化された言葉は大脳が聞いていて、それを一つの刺激として、体内に指令を出します。

「元気です!」と言うと、体中に「元気」の指令が流れ、多少疲れていても元気になる。

一方「疲れた」と言えば、本当はまだ元気なのに「疲れた」指令が体中を駆け巡るのです。

なにより効果があったのは、「大丈夫ですよ、必ずよくなりますよ」という励ましの言葉と、相手を受け止めて抱きしめることでした。

言葉が人間を変える。言葉が人生を作る。

過去生の呪縛を説き放ち、今世で素晴らしいあなた自身の人生をつくることはいくらでも可能です。

そこで重要な役割を果たすのが、言霊パワーなのです。

まだ目覚めていない遺伝子のスイッチをオンにすることは、とっても簡単です。

まずはできると思うこと、そして「できる」と言葉にすることです。

ここでポイントは、体も一緒に動かすことです。

言葉と体の両方を同時に使うと、大脳を刺激し、潜在意識への刷り込みがうまくいきます。

ことさら大袈裟な動きをする必要はなく、ピョンと跳ぶくらいでもOKです。

また、潜在意識は夜に活動するので、寝る直前にやると効果的。

最強の言霊「すべてはうまくいっている」を言いながらの「カニ踊り」です。

やり方は簡単。両手でピースサインをつくって、「全てはうまくいっていると!」と言いながら、右に2回、左に2回と横歩きするのです。

「うまくいっている」と言い続けると、潜在意識は既にそういう状態にあると認識して、どんどん「うまくいっている」状況を作り出していくのです。

「心配しないでも大丈夫よ。みんなもれなくあの世に帰れるから。それまで今世をエンジョイして輝きましょう」

魂は生き続け、命は永遠です。

そのなかで今回、「今の自分」を選んで生まれてきたのには、それなりの意味があります。

せっかくですから今世の自分を十分にエジョイしましょう。

まずはエンジョイすると思うこと。

そして宣言すること。

その言霊は、必ずあなたの人生を素晴らしい方向へ導いてくれるはずです。

  西田文郎
致知200303月号/2006(平成18年)0927
 
  1.金儲けが上手な人は、金儲けが大好きで、お金を儲けることはとても簡単だと思っている。
2.人間とは脳に記録された記憶データである。
3.拝むということは、右の脳を使って奥の脳、本能の脳へ肯定的な記憶を入力してストレスを解消するプロセス。
4.赤ん坊の時の記憶は奥の脳、脳の外側から二層目の喜怒哀楽を司る大脳辺縁系に全て蓄積されている。
5.そこに否定的な記憶が多く蓄積されていると、それがトラウマとなって、その人の幸せや成功を妨げる。
6.拝むという作業は、ものすごく肯定的な記憶データとして蓄積される。
7.「イエス・バット法」とは否定的な言葉に出会ったときに、それをプラスの脳がワクワクしてくるような言葉や動作に変えて入力するものです。
8.拝むという行為は究極の「イエス・バット法」ともいえる。
9.思考をプラスにしようとしたら、まずイメージと感情の脳をプラスにすることが重要なんです。
10.成功をイメージして既にできてしまった時の気持ちに浸る。

11.宗教は数千年も昔から脳の一層目と二層目をプラスにすることの大切さを説いている。
12.有り難いと感謝して拝むという作業は、左の論理的な脳ではなく右脳と奥の本能の脳をプラスの情報で強く刺激する素晴らしい作業である。
13.感謝をすると、自分を信じられるようになる。何故なら脳の二層目が変化し、脳を”快”にしてしまうからです。
14.感謝はツキや幸せを呼び込む最も効果的な方法である。
15.あなたは毎日仕事が楽しくて、脳がワクワクしていますか?
16.あなたは自分以外の誰かを喜ばせたくてワクワクしていますか?
17.本人に「出来る」と思わせるには?
18.二層目の本能の脳を快にすることです。
19.人を変えるということは、理屈の脳ではなくて二層目の感情の脳を変えるということ。そこが不快から不快でない状態にすることです。
20.そういう状態を作ったうえで達成すべき目標を決める。

21.目標を達成するには、一つには、達成した時の心理状態まで具体化すること。
22.つまり、達成した時、周りの人たちがどう喜んでいるかとところまで具体的にイメージする。
23.その為には、まず現在自分を支えてくれている人、自分が頑張る事で喜んでくれる人を、思いつくだけ書き出します。
24.その作業が終わったら、次に学生時代の、そして子供時代のそういう人を続けて書き出します。
25.そして、その中から一人、一番喜ばせたい人を決め、これが目標達成の為のその人の神様になるんです。
26.人が本当に信念を持とうと思ったら、感情脳を刺激することが重要になる。
27.目標を持ったら、常に成功したところしかイメージしてはいけない。
28.出来ないと思った時、心の中のもう一人の自分に、出来ることをドンドン語りかけさせる。
29.自信がなくなると「いや、俺は出来る」といった強気なことを繰り返し徹底して語りかける。
30.否定的なことを言てしまったら、いったん”バット”という言葉で打ち消してその後の言葉を肯定的にする。

31.例えば「ああ、やる気しないよ」と言ってしまったら、「でも頑張る」と続ける。
32.そうすると脳は後の肯定的な言葉のほうしか覚えないので、これを習慣付ければ、脳の切り替えが簡単に出来るようになってくるんです。
33.物事を達成していくには二層目の脳を肯定的にすることがとにかく大切である。
34.朝目を覚ますと、必ず「ああ目が覚めた有り難い、ツイてる」と自己暗示をかけ、一日をイメージよくスタートする。
35.一日の終わりに「運があったな」と自己暗示をかけ否定的なことを引きずらずに寝ること。
36.超一流の人は自分はこの仕事が出来て有り難いと心の底から思っている。感謝のエネルギーを持っているということです。
 
  人生の暗号 村上和雄2006(平成18年)0928  
  1.DNAは螺旋状の二本のテープになっていて、このテープに四つの化学の文字で表されている情報が書かれている。
2.本にすると千ページの本が千冊必要になるほどの情報量。
3.成人になると約六十兆個の細胞がある。その一つ一つの細胞の中の核に三十億の情報が格納されている。
4.驚くべきことは、体のどの部分の細胞を取ってきても、そこには三十億の情報がきちんと収められていることです。
5.良い遺伝子を目覚めさせるには@思い切って今の環境を変えてみる。A人との出会い、機会との遭遇を大切にする。Bどんな時も明るく前向きに考える。C感動する。D感謝する。E世のため人のためを考えて生きる。
6.遺伝子の構造と原理は、全ての生物に共通していることで、現在地球上には二百万種類以上の生物がいるといわれていますが、あらゆる生物が同じ起源をもつということは驚異的なことではないでしょうか。
7.「しゃべる時も遺伝子が働いているのですよ」というと驚く人が多い。人間が考えたり行動したりするほとんどのことに遺伝子が関係していて、遺伝子暗号に書かれたこと以外は我々の身に起きないのです。
8.行動のエネルギーを引き出すには思い込みが一番いいのです。
9.世界一流の学者と知的障害者の基本的遺伝子の差は、1%内外であることがわかってきました。両者の差は遺伝子の差ではなく、遺伝子の目覚め方の差である。そういう想定が可能になってきます。
10.要するに伸びる人とは、眠れる良い遺伝子を呼び起こすことがうまく、それが下手な人は能力や才能をもちながらも伸び切れないということです。

11.伸びるタイプの条件の第一は、物事に熱中できるということです。それから持続性のある人、それと常識に縛られない自由闊達さをもつこと。
12.良い遺伝子をオンにして生きるには、プラス思考がいちばん大切だということ。どんな場合でもプラス思考を心がけることが、遺伝子を通じて自分の潜在能力を発揮させる最良の方法だと私は思っています。
13.つくづく不思議に思うのは、人の生命設計図の精巧さと、それを極微の世界に書き込んだのは誰かということである。人間が書いたものでないことだけは確かだ。そこから私は人間を超える創造主、神のような存在を感じざるを得ない。その存在を私はサムシング・グレート呼んでいる。
14.生命はとてつもなく複雑なようでありながら、ごく単純な原理で構成されているということです。これはコピュータが複雑な計算をものすごいスピードでこなす驚異的能力を持ちながら、0,1という単純極まりない原理からできているのとよく似ています。
15.細胞の働きを観察していると、大変示唆に富んだことが一つ分かってきます。それは細胞が実によく助け合って働いていることです。全体は部分に奉仕し、部分は全体に奉仕する。細胞にはそういう働きが見られる。私がこれが自然の正しいやりかただと思うのです。
16.親は早い時期から、「他人を喜ばせることがこんなにも自分を楽しくするものなのか。」ということを教えこむ必要があります。
17.他人のために何かをすることほど、自分に役立つことはありません。自分の心を充実させたかったら、人の心を充実させてあげ、自分が成功したかったら、人の成功を心から望む。こういう生き方をすればよいのです。
18.地球そのものが生きている一つの大きな生命体であり進化を遂げてきたとする学説です。これは対立と抗争、分断と個別化を、進歩や進化の原動力とみなすのではなく、助け合い、譲り合い、分かち合いの三つの「合い」が、本当の進化の原動力だとする考え方なのです。
19.ユダヤの人たちは、子供が小さいときから徹底的にユダヤ教を教え、それを人生の指針や生活のよりどころにさせようとします。
20.分かってもわからなくてもユダヤ教の経典を暗記させられ、成人式にはみんなの前でそれをスラスラ言えなくては一人前扱いされない。なぜそんなことをするのか。遠い昔、国を滅ぼされ神殿を奪われたユダヤ人たちは、自分の胸の内に神殿を作る気持ちで、自分の胸の内に神殿をつくる気持ちでユダヤ教の経典を子供に教えこむのだそうです。

21.「人は誰でもお出ともない潜在能力を持っている」という従来の潜在意識論がかなり正しい指摘をしていたことがわかるのです。たとえば「オリピックに出て優勝してやろう」と小さい時から思っている人と、そういうことを全然考えない人とでは、願望を持っているほうが実現させる確率が高い。思っている人は、常にそのことを考え、目的に近づく行動をよく起こす。思考も行動も遺伝子を目覚めさせる大きな要素だからです。
 
  生命の暗号 村上和雄 2006(平成18年)0928  
  1.今から40年ほど前に、科学上のすごい発見がありました。「生きとし生けるものは、まったく同じ遺伝子暗号を使って生きている」という発見です。カビも大腸菌も植物もを動物も人間も、みなひとしく同じ原理を使って生きていることが分かったのです
2.基本原理が同じということは、生物は間違いなく一つの細胞から始まったと思われます。
3.私たちが草木を見て心安らぎ、犬猫に出合って親しみを感じるのは、あらゆる生物が起源を一つにする親戚兄弟だからかもしれません。
4.ヒトの遺伝子暗号には、約30億の化学の文字で表される情報が、1グラムの2000億分の1、幅が1ミリの50万分の一という超微小のテープの中に書き込まれています。
5.1グラムの2000億分の1の重さということは、現在の地球の全人口60億人分のDNAを集めてきても、米粒一つの重さにしかなりません。
6.遺伝子とは生命の設計図のことです。親から子へ、子から孫へとつながっていく生命の、もとになる要素が遺伝子なのです。
7.遺伝子には何の暗号が書かれているのでしょうか。結論を言えばたんぱく質を作る暗号なのです。
8.つまり自分の身に起きることは「すべてプラス」という捉え方をすることです。
9.極端に言えば、「今日は御機嫌で調子が良いようだね」などと、語りかけることも無駄とは言えません。
10.元気の出る遺伝子をオンにすればいいのです。その方法は、「感動」するということです。

11.人間の可能性が無限であるという考え方は、私たちの脳が「可能と思ったこと」は可能だということです。どんなことも人間が思わない限りは、可能も不可能もありません。「空を鳥のように飛べたらいいな」と思ったから飛行機はできたのです。
12.私たちが「こうあってほしい」と望むようなことは、ほぼ100%可能性の範囲内にあるといってもよいと思います。それどころか頭で考えて「こんなことはダメだろう」と思うようなことも可能にする能力を私たちの遺伝子は持っていると考えられるのです。
13.情報収集ということを組織的にやっているのがユダヤ人だと思います。ユダヤ人はなぜノーベル賞に強いのか。彼らは教会へほとんど毎週通って、集会のあとみんなで家族ぐるみの付き合いをします。彼らは若い時から、ユダヤ教の聖典をたたきこまれている。それを完全に暗記していないと一人前に扱われない。日本で昔、「論語」を読ませたのとよく似ています。
14.ボスが信念を持って「できる」と決めると、周囲もその気になります。ただし、本当に心からそう思えなければダメです。
15.遺伝子をオンにするもう一つの有効な方法を紹介します。それはギブアンドギブの実践です。
16.遺伝子をONにさせる要素は三つあります。遺伝子自身と環境と心のはたらきです。
17.人間はいくつになっても、自分の才能を開花させる能力を持っているのです。あることをやろうという情熱と実行力があれば、どんなことも可能性はゼロではない。それを阻害するのは「もうダメだ」という気持ちだけです。
18.うまく遺伝子をONに持っていけば、人間は誰でも自分の内側に眠っている素晴らしい能力を引き出すことができるのです。

遺伝子は1分1秒の休みもなく働いているのですから、私たちの心もいつもよい方へ向けておく必要があります。そうするための秘訣は、やはりものの考え方を最終的には、プラス発想にもっていくことです。良い遺伝子をONにするにはプラス発想が1番といえます。
私たちの大本には、何か不思議な力が働いていて、私たちは生かされている、という気持ちを忘れてはいけないと思うのです。

  悟りの十説 古村豊治 2004年6月到知  
  1.悟るとは、人生が楽しくなることである。
2.悟るとは、すべての存在に感謝できることである。
3.悟るとは、すべてにこだわらない状態である。
4.悟るとは、全てを肯定する(一承顕命)境地である。
5.悟るとは、「今とここにいること」に気付くことである。
6.悟るとは、自然法爾(全てをお任せできる)状態である。
7.悟るとは、悟ることも忘れることである。
8.悟るとは、自然体でいることである。
9.悟るとは、「宇宙則私」と気付くことである。
10.悟るとは、自由で、明るく、温かく、穏やかに微笑んでいることである。

悟りの状態
心の究極の平安
平和な至福に満ちた心境
宇宙との一体感・・・宇宙に抱かれている。
すべての存在に感謝できる。
自分の本質とあり様に気付く・・・「実相」の認識
全ての過去(前世も含め)を全肯定・・・私は常にツイている
「今」と「ここ」感覚・・・時と空の統一
一元化・・・陰陽、プラスとマイナス、善と悪、私と人などに分けない

「悟り力」の方法論
1.決心
2.基本浄化
3.日常生活法
4.瞑想・・・自分なりの脳波コトロール法を実践
5.環境を整える(衣食住+宇宙エネルギー)
6.感謝、お礼、必要ならお詫び、
7.現在意識と「絶対」の意思のパイプラインを活性化
8.1から7を繰り返す。悟りスパイラル

ステップ1・・・決心
まず自分が「悟る」と決心してください。それから「さとったイメージ」をできるだけ具体的に頭に描いてください。そして自分を信じること。
イメージしながら、自分が「成就してうれしいな」というように、ほんわかとした感情を持つことです。なぜなら「念」というのは、感情を伴った強い「思い」だからです。
不幸な人は「ひょっとしてこんなことになるのかな・・・」と不安や恐怖で思うので、即実現します。思ったことが即実現するというのが、波動の高い時代の特徴です。

ステップ3・・・日常生活法
感謝行を実行。口癖になるほど「ありがとう」を連発しましょう。
自分にきたことは、必然必要であり、ベストと考えましょう。心を常に積極的にもって対応しましょう。
物事を「あるがまま」に観ましょう。
常に気分を自由で、明るく、温かく、積極的に。
感謝を多くしましょう。
自分を褒める。
些細なことでも幸福に思えるように意識することです。

ステップ5・・・環境を整える(衣食住+宇宙エネルギー)
日常生活の環境にできるだけ波動的にいいものを取り入れることが、「悟り力」への近道です。
できるだけ宇宙エネルギーをとり入れましょう。

ステップ6・・・感謝、お礼、必要ならお詫び。
どうか謙虚に、自分が存在すること、そしてそれを支えてくれている全ての存在に感謝して下さい。
具体的には、寝しなに「有難うございます」を連発するといいでしょう。
人生で起きた嫌なこと、困ったことにお礼を言うのです。
嫌な事ほど役に立っているのが人生です。
素直に、過去の事件、人物やそれを持ってきてくれた高次元的な存在にお礼を言いましょう。

 
  一瞬で運命を変える魔法のスイッチ 佐藤康行  

いつもニコニコ作戦

同じ習慣でも、何かあるとすぐに落ち込むより、いつもニコニコ元気な方が絶対に得です。ではどうやって、元気を出しますか。どんなときでも、笑顔を絶やさないことです。
昔から「笑う者に福きたる」と言います。笑顔は万国共通の元気の素と言えます。たかが笑うことと馬鹿にしてはいけません。笑いが、笑う本人の免疫力を高め、いい遺伝子まで活性化させることが科学的に証明されているのです。いつも笑っている人は周りの人を明るくさせます。「笑えないときはどうする?」と思われるかもしれません。答えは簡単です。それでも笑ってください。無理に笑っても、作り笑いでも、笑いの効果は同じです。どんなときも「笑っていいとも」なのです。

ほめる習慣をつける

周りの人をどんどんほめる習慣をつけましょう。
褒めて褒めて褒めまくれば、今度はこちらが誉めてもらえるようになります。
人からほめられることくらい元気が出ることはありません。
どんなにやる気がないときでも、人からほめてもらうと途端に自身がでてきて、がんばろうという気になるものです。ところが文句を言ったり、しかったりするのは得意でも、褒めるのは苦手という人が少なくありません。褒める材料もないのになんで・・・と思ってはいけません。探せばいくらでもあります。
世の中には<なくてもいいもの>がいっぱいあります。その一方で、いちばん大事なことはやっていません。
それは、人間の心の開発です。心のことがいちばん大切なのに、みんなそれをないがしろにしている。
今、一番最初にしなければいけないことは、自分の心に「これでいいのか」と問いかけてみることです。

真の成功者

真我に目覚めた人こそ、真の成功者と呼ぶにふさわしい人と言えます。
なぜなら「自分はこの世に何のために生まれてきたのか」という本質的な自己の使命を知り、それを実践しているからです。
自己の使命を知れば、あとは使命を全うするべく突き進むのみ。
使命を生涯にわたって全うする生き方こそは、真の成功者の姿にほかなりません。
真の成功者は、自分を最高度に活かす生き方をし、必要なものは全て満たされ、不自由なことは何一つないのです。

成功したいとき

成功したければ、成功している人と付き合うことです。
成功した人は成功する波長を持っています。
その波長に自分を合わせるのです。失敗して愚痴ばかりの人の周りには、同じような人が集まってきます。波長が合うからですが、「逆もまた真なり」の法則を活用するのです。

 
  ガンも生活習慣病も体を温めれば治る 20061007  
  免疫革命の著者、新潟大学大学院医学部の安保徹教授は、ガンの原因は、「精神的肉体的ストレスがかかると、交感神経と副交感神経のバランスで成り立っている自律神経が、交感神経優位へと大きくぶれ、それによって白血球のバランスを崩して体内の免疫が低下する」
白血球は体内で老廃物・有毒物を処理する掃除屋の働きをしている。
この掃除屋の働きを強めることができれば、万病の予防、治療になることは容易に想像がつくだろう。

では白血球の働きはどんな時に1番強まるのか、それは体温が上昇した時である。入浴や運動(散歩、スポーツ、労働)などで体温が上昇したときはもちろん、炎症、ガン、膠原病などの病気で発熱しても白血球の働きは活発化するのだ。
これは裏を返せば、我々の体が病気をしたときに発熱するのは、白血球の働きを促して、体内の老廃物や中毒物を処理し、治癒を早めようとする反応にほかならない。
ということは、日頃から入浴、サウナ、スポーツ、カラオケなどで、体温をあげておけば、白血球が良く働き、血液内の老廃物が処理され、病気を予防できることになる。

このほかにもビタミンCや鉄分を取ると、白血球の働きが促進されることがわかっている。
これは、白血球、副腎、扁桃腺など免疫現象に深くかかわっている箇所が、体内で最も多く、ビタミンCを含んでいるからだ。

過食や不適切な食物の摂取、運動不足、ストレスなどによって、血液中に老廃物が増えすぎると、 白血球だけではもはや処理しきれなくなることがある。

呼吸する酸素のおよそ2%が活性酸素になると言われているが、白血球が体の老廃物や病原菌を食べ殺すときにも、活性酸素は生成されているのである。

この事実を踏まえると、活性酸素は「老廃物や病原菌を燃焼させるのに必要な酸素」と考えることができる。
活性酸素を無害化するためものには、ビタミンA・C・E、生姜に含まれるクルクミン、リンゴ・サクランボ・ブドウのエラグ酸、お茶のカテキンなどがある。

ドイツの医科大学でガンの自然療法を行っていたイセルス教授の言葉に、「世界には二人の名医がいる。それは食欲不振と発熱だ」というものがある。

食欲不振も発熱も、「体が自らを治そうとして起きた反応」と捉える考え方だ。

風邪や肺炎をはじめ、胆のう炎、膀胱炎、髄膜炎などの炎症疾患には、全て発熱と食欲不振を伴う。これらは我々の体が体内の老廃物・有毒物を燃やしているサインであるばかりか、通常は消火活動に使われるエネルギーを病気治癒に費やそうとする反応である。

同時に食を断つことで、病気のもとである老廃物や有毒物をこれ以上体内に侵入させたり、つくらせたりしないようにしているのだ。
これは人間だけでなく、どんな野生動物も行っていることである。

しかし食欲不振も発熱も体の防御システムが起こした治癒反応で、特に発熱が病気の治癒にとって、非常に大切な現象であることを認識すれば、自然と対策も変わってくるはずである。
言い換えれば、「病気を治すために発熱する」と言ってもよいからだ。

1866年にドイツのブッシュ博士が「丹毒やその他の高熱を伴う病気にかかると、ガンが治ってしまう患者がいる」ことを論文で発表している。

アメリカ・ニューヨーク記念病院の外科医コーリー博士は、それまでの「発熱とガンの治癒」に関する文献を幅広く集めた結果、「手術不能の悪性腫瘍の患者で、丹毒に感染した38人中20人が完全治癒した事実」を発見し、意図的に病原菌を投与して治療を目指している。
体温の高いバセドウ病の患者に、がんの発生がきわめて少ない(一般人の1,000分の1以下)ことも認められている。

 
  成功の名言集 ヘンリー・フォード  
  ・考えることは最も過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ないのだ。
・成功の秘訣とは、自分の目からと同じように、いかに他人の目から物事を見ることができるかにある。
・もはや手のほどこしようのない事態になったら、事態の成り行きにまかせるだけだ。
・たいていの者は他人が時間を浪費している間に先へ進む。これは私が長年、この眼で見てきたことである。
・今日の大問題は、ほかの誰かが自分のために何かしてくれないかと期待している人が多すぎるという点だ。われわれの問題の大半を解決する方策は、皆が人を当てにせずに何かを行うということに見出されるはずである。
・自分以外の人間に頼むことができて、しかも彼らの方がうまくやってくれるとしたら自分でやる必要はない
 
  ナポレオン・ヒル  
 

・やりたいことは、まず行動によって示せ。
・落伍者には勝利はない、勝利者は決して途中であきらめない。

 
  成功の名言集 アルバート・アインシュタイン  
  ・私は未来のことを考えない。あっという間にやってくるからだ。
・想像力は知識よりも重要だ。
・大切なのは、問うことをやめないことです。
 
  デール・カーネギー  
 

・他人に何か行動を促す唯一の方法は、相手が欲しがっている物について語り、どのようにしたらそれを手にできるかを相手に示してあげることだ。
・自分に関心を持ってもらうために2年間費やすよりも、他人に関心を持てば二週間でよりたくさんの友人を作ることができる。
・不可能だと思わない限り、人間は決して敗北しない。
・優柔不断は疑いと恐怖心を生み出し、行動は勇気を生み出す。恐怖心を克服するには、家に閉じこもってくよくよしていては駄目だ。外へ出て仕事に精を出すことだ。
・あなたが明日会う人々の四分の三は、「自分と同じ意見の者はいないか」と必死になって探している。この望みをかなえてやるのが、人々に好かれる秘訣だある。
・一見たいしたことない仕事でも、思い切って全力を注ぐことだ。仕事を一つ征服するごとに実力が増していく。小さい仕事を立派に果たせるようになれば、大仕事のほうはひとりでに片がつく。
・成功者とは、失敗から多くのことを学び取って、新たに工夫した方法で、再び問題に取り組む人間のことである。
・十人中九人は、親しくなってみると前より好感が持てる。

 
  ベンジャミン・フランクリン  
 

・人生を愛するものよ。時間を浪費してはならない。人生は、時間でできているのだから。
・時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
・1つひとつの問題の本質を正しく掴め。仕事を分割して適当に時間割りせよ。
・困難を予測するな。決して起こらないかも知れぬことに心を悩ますな。常に心に太陽をもて。
・もし「時」がこの世で最も貴重なものだとすれば、時の浪費ほど大きな浪費はあるまい。失われた時は2度と帰らないからだ。時はいくらあっても十分ではないのが常だから、やるべきことはさっさと行なおう。価値あることを行おう。精を出して事に当たれば、これまでよりテキパキとやれるはずだ。
・口論は誰にでもできるゲームだが、双方とも決して勝てない奇妙なゲームだ。
・勤勉は幸福の母である。神は勤勉な者にあらゆるものを与えてくださる。だから怠け者が眠っている間に、せっせと畑を耕すことだ。そうすれば収穫が得られ、売ろうと貯蔵しようと自由である。

 
  松下幸之助  
  ・世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します。
・出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない。
 
  ウォーレン・バフェット  
  ・ビジネスの世界では、常に、フロントガラスより、バックミラーの方がよく見える。
・周囲の人からそれなりの評判を得るには20年かかる。だが、その評判はたった5分で崩れることがある。そのことを頭に入れておけば今後の生き方が変わるはずだ 。
・価格とは、何かを買うときに支払うもの。価値とは、何かを買うときに手に入れるもの 。
・リスクは、あなたが何を行っているか知らないことが原因だ。
 
  トーマス・アルバ・エジソン  
  ・天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。
・最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。
ただ努力だけという人はエネルギーを無駄にしているにすぎない。
・なぜ成功しない人がいるかというと、それは考える努力をしないからだ。
・ ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。
いよいよこれからだというのに。
 
  神田 昌典  
  ・人間は、理屈で買わない。感情で買う。 そして、その後に、理屈で正当化する。
・コンピューターがどんなに発達しようとしても、仕事の中心は人間だ。ならばそこには「縁」と「情」が生じる。
それに気づき、大事にした者がレースの最終覇者となるのだと思う。
・なりたい自分になるために、都合のいい肩書きを考える。
・人間もアメーバも、快楽を求めるよりは、苦痛から逃れるほうが、より強い行動要因になるのである。
 
  孫 正義  
  ・リーダーシップの要素は重要な順に三つある。一番重要なのは高い志であり理念、二番目はビジョン、三番目は戦略である。
・最初にあったのは夢と、そして根拠のない自信だけ。そこから全てが始まった。
・失敗の中にこそ、成功のカギがある。失敗という偶然を悔やむより、もっといい結果に目を向けよう。
・友情イコール同情ではない。相手を立ち上がらせたいからこそ、そして相手を信じるからこそ、相手の心にせまる。
・世の中には困難なことが山ほどあるが、不可能なことは少ない。
・友情イコール同情ではない。相手を立ち上がらせたいからこそ、そして相手を信じるからこそ、相手の心にせまる。
 
  スティーブン・R・コヴィー  
  ・最も大切なことは、最も大切なことを最も大切にすることだ。
・行動で作った問題を言葉で解決することはできない。
 
  ジョセフ・マーフィー  
  ・人生にはある偉大な法則があります。それは「あなたの人生はあなたの思い描いた通りになる」という法則です。  
  ジェームズ・アレン  
  ・人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である。
・自分の心をしっかりと管理し、人格の向上に努めている人たちは、「環境は思いから生まれるものである」ということを熟知しています。
 
  ビル・ゲイツ  
  ・成功は、 最低の教師だ。
・リスクを負わないのがリスク
 
  ロバート・キヨサキ  
  ・言い訳は自分に対する嘘である。  
  成功を呼ぶ口ぐせの科学 佐藤富雄  
  ウチの技術者は世界一     
井深 大
成功は99%の失敗に支えられた1%だ
本田宗一郎
やればできる。
小柴昌俊
夢はその人の道を切り開いてくれる。
たかの友梨
序列が成功へとつながる。
稲盛和夫
いいぞ、いいぞ。
澤田秀雄
お前は世界一になれる
小出義雄
エンジョイ!
イアン・ソープ
俺は絶対勝つ
清水宏保
ぼちぼち
斎藤茂太
脳細胞は口に出す言葉通りの作用を及ぼす。
未来のあなたの姿を作るのは現在のあなたの口癖です。
大脳のイメージをそのまま体に伝える自律神経系を活用する。
ここで重要なのは自律神経系はほんとうにあったことと、想像上の区別がつかないことです。
つまり想像に対して体はあたかも今起きている現実のように反応するのです。
「なんて素晴らしいんだ」「幸せな毎日だ」というように、楽しいことや、ワクワクすることを
考えていると、ハッピーなロマや希望、夢を作りだし、気分はますます良くなり、
元気がみなぎります。
良い言葉を使えば、思い通りの自己像が作れる。
脳を活性化させ、体中の一つ一つの細胞を喜ばせる快感ホルモンをいかに沢山出すかが、
人生の「勝ち組」になるポイントです。
そこで「なりたい自分」「こうありたい自分」を積極的にイメージしましょう。
なりたい自己像をイメージする秘訣は、自分に対する劣等意識などを捨て去り、「好きな自分」
のイメージだけを持つようにすることです。
「私は仕事ができる」「お金に縁があって、一生困ることはない」
「性格が良いので、誰からも好かれている」
志を高くして強く念じ続ければ、願いは必ずかなう。
言葉が「自動目的達成装置」にスイッチを入れる
最初の一言が脳を支配することは明らかな事実です。どんな場合でも「これでいいんだ!」
などの楽天的な言葉を使うようにしましょう。
 
 
学問は命を知り、命を立つにある故、

いずれの一にも偏せず、縁に従って、すべてを学ぶ

安岡正篤
素心規 一、禍が福か、福が禍か、人間の私心でわかるものではない。
   長い目で見て、正義を守り、陰徳を積もう。

二、窮困に処するほど快活にしよう。
   窮すれば通ずる、又通ぜしめるのが、
   自然と人生の真理であり教である。

三、乱世ほど余裕が大切である。
   余裕は心を養うより生ずる。
   風雅も却(かえ)ってこの処に存する。

四、世俗の交は心を傷(いた)めることが少くない。
   良き師友を得て、素心の交を心がけよう。

五、世事に忙しい間にも、寸暇を偸(ぬす)んで、
   書を読み道を学び、心胸を開拓しよう。

六、租国と同胞の為に相共に感激を以(もっ)て
   微力(びりょく)を尽そう。

*素心…利害や意見や年齢や地位身分など、
       そういう様々な世間の着色に染まぬ
       生地のままの純真な心を素心という。

『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
心に太陽を持て
心に太陽を持て
あらしが ふこうと、ふぶきが こようと、
天には黒くも、地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て

唇に歌を持て、
軽く、ほがらかに
自分のつとめ、自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て

苦しんでいる人、なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
「勇気を失うな
くちびるに歌を持て
心に太陽を持て」

ツェーザル・フライシュレン
ドイツの詩人
1864-1920
 
人はこの世に生まれ落ちた瞬間、
  全員が天から封書をもらって生まれてくる

森信三
 
過去が咲いている今、
  未来の蕾で一杯の今

陶芸家
河井寛次郎
 
人は知らずとも、天は知っている。地も知っている。自分も知っている。

そう思って、己(おのれ)の誠を尽くしていく。

人を相手にするのではなく、天地を相手に相撲を取る。

 
 
すべての繁栄は人からはじまる。

ひとりの人間が自らの人生を発展繁栄させていくことが、

そのまま組織の発展繁栄に繋がる。

 
管仲論(かんちゅうろん)


功の成るは成るの日に成るに非ず。

けだし必ず由って起こる所あり。

禍の作(おこ)るは作る日におこらず。

また必ず由って兆(きざ)す所あり。

蘇老泉(そろうせん
 
人のお世話にならぬよう

人のお世話をするよう

そしてむくいを求めぬよう

後藤新平
  百術不如清(百術一清に如かず) 玉木文之進
座右の銘
  宋の耿庭柏の母 徐が南中の知府を勤めていた我が児に贈れる七絶・・玉木文之進が愛誦  
  家内安全汝に報じて知らしむ。田園の歳入余資有り。絲毫も用ゐざれ南中の物。良し清官の為(なっ)て聖時に答へよ  
     
1.児童憲章 一 人間進化の機微は胎児に存する。胎児はまず最も慎重に保育されねばならぬ。
二 児童は人生の曙である。清く、明るく、健やかなるを尚(とうと)ぶ。
三 児童に内在する素質・能力は計り知れぬものがある。夙(はや)くより啓発と善導を要する。
四 習慣は肉体となり、本能となる生きた主義・理論であり、生活は習慣の作品である。良い習慣を身に着けること即ち躾は児童の為にももっとも大切である。
五 言葉と文字は人間文化の血脈である。児童はなるべく早くから民族の正しい言葉と文字を学ばねばならぬ。その学習能力を児童は大人よりも純粋・鋭敏に本具しているものである。出来れば一、二の外国語を習得することも望ましく、又十分可能なことである。
六 児童は祖国の歴史・伝統に基づく優れた文学芸術や、世界と宇宙の限りない感興に誘う諸々の作品の裡(うち)に養われねばならぬ。
七 いかなる艱難辛苦も、補導宜(よろ)しきを得れば、児童にとって却(かえ)って大成の試金石となるものである。

安岡正篤著
「人間の行き方」221頁より
「日本の父母に」p123より

2.学生憲章 一 特性は人間の本性であり、知能・技能は属性であり、習慣は特性に準ずる。三者相俟って人間を大成する。
二 学生は特性を養い、良習を体し、知識を修め、技芸を磨くを以て本分とする。
三 人間は鍛錬・陶冶によって限りなく発達するが、その本具する諸々の性能は学生時代に成就するものである。
古来人類文化に寄与した偉大な発明・発見や開悟も、少なからず二十歳代に行われている。
四 学生は人間の青春であり、民族の精華である。その品性・態度・教養・行動は、おのずからその民族・国家の前途を標示する。
五 学生は自己の学修及び朋友との切磋琢磨を本分とし、出来る限り雑事に拘ることを自戒せねばならな。
六 講説の師は得易いが、人間の師は遭いがたい。真の師を得ては灑掃の労をも厭うべきではない。
七 国家民族の運命を決する重大時機に臨んでは、敢然として身を挺し、敬慕する先輩・知己と共に、救民・革命の大業に参ずる意気と覚悟を持つことは貴い。
安岡正篤著
「人間の行き方」221頁より
3.父母憲章 一 父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。父母を別って言えば、父は子供の敬の的、母は愛の座であることを旨とする。不幸にして父母のいずれか欠けた場合、残った方が両者の分を兼ねねばならない。
二 家庭は人間教育の素地である。子供の正しい特性と良い習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。このことが善く行われれば、少年の非行犯罪も殆んど無くなることは、各国に於いて実証されている。
三 父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、これに就けることを心がけねばならぬ。
四 父母は随時祖宗の祭りを行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心がけが大切である。
五 父母は物質的、功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚・交友の陰口を慎み、淡々として、専ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。
六 父母は子どもの持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発することに努めねばならぬ。
七 人生万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶を重んぜねばならぬ。
安岡正篤著
「人間の行き方」221頁より
4.教師憲章 一 教育は職業的、社会的成功を目的とする手段ではなく、真の人間を造ることを使命とする。
二 子弟が将来いかなる地位についても、人から信用せられ、いかなる仕事にあたっても容易に習熟する用意のできておる、そういう人間を作ることが教育の主眼である。
三 将来を担う子弟が、明日の行路を誤たず、信念と勇気を以て進むために要するものは、単なる知識・理論や技術ではなく、人間の歴史的・恒久的な原理であり、典型である。
四 教師はみだりに人を教うる者ではなく、まず自ら善く学ぶ者でなければならぬ。
五 教師は一宗一派の理論や信仰を偏執して、これを子弟に鼓吹してはならない。
六 教師は学校と教壇をなおざりにして、政治的、社会的活動してはならない。
七 現代が経験している科学・技術・産業における諸革命と相応する、理性的、精神的、道義的革命が達成されねば、この文明は救われない。その「革命への参加」は、教師において、いかなる階級の奪権闘争でもなく、もっと内面的、霊的な創造でなければならぬ。
安岡正篤著
「人間の行き方」221頁より
5.重役憲章 一 時世の偉大な變化は、經濟においても、物を利用し開發して、人間の生活に役立てようとする開物成務の本義と共に、進んで世界の各國民を貧困と爭亂から救うて、平和と幸福を實現しようとする經世濟民の使命を重大にしてゐる。事業家は活眼を開いて時勢に通曉せねばならぬ。

二 知識・技術と産業の發達が、次第に世界各國民の共通性を弘めるほど、同時に又我々日本人は他國民に比して、いかなる特徴と長所を持つかを省察し研究せねばならぬ。經濟的國際化は日本の特質を無くすることではない。日本の特質を國際的進歩の中において、益々有力に發揮することこそ、日本國民にとつては勿論、他國民にとつても貴重な利益と模範である。

三 人は皆利の爲に來り、利の爲に往くといふ。然しながら利は人の智を昏くし、利を專らにして行へば、多く怨を生じ、いたづらに財を先にすれば、民衆は貧つて飽くを知らぬこと、先哲と史實の明示する所である。
凡て物質的經濟的問題といはれるものも、互に信頼し尊敬することのできる人間的・精紳的條件を待つて眞に有効圓滑に處理されることは古今東西不變の大切な原則である。

四 人間において、成功ほど失敗するものはない。事業の安定と繁榮は、その資本・生産・交易・利潤等の數量にあるのではなく、要するに經營者の精紳と能力に依るものである。

五 重役は良く人材を識り、之を用ひ、之に任さねばならぬ。之を任用といふ。人材を任用して大和を計るは成功の要諦である。

六 才幹や智能はもとより望ましいものであるが、重役たる者は、むしろ信望あるを貴しとする。信義を體し、おのづから重鎭する所あるは重役の本領である。

七 世界は不断の進展であり、變化である。現代は人間の感嘆すべき創造を實現してゐる。今時なほ個人主義と社會主義、自由主義と全體主義、資本主義と共産主義などを對立させ闘爭することは、實に驚くべき思想の貧弱・昏迷といはねばならぬ。今後の究極問題は、我々が今日經験してゐる科學・技術・産業の諸革命に相應する精紳・道徳・人間の内的革命を圓満に遂行することである。

安岡正篤著
「人間の行き方」221頁より
6.国会議員
憲章
〔前文〕
國民の長い切實な經験と智恵は暴力と忿爭が決して眞に問題の解決に役立つものではないことを覺つて、互に尊敬し信頼する人々を選出し、それらの誠實にして公正な十分の討議を經て決定する政治體制を發達させることができた。これが自由主義・民主々義議會政治である。それは一種の理論や一時の制度ではなく、人類文明の到達した一存在様式である。故に議員は互に信義を以て國民の付託に應へ、惰理を盡して問題を討議し、公正な解決に協力して、國民の福祉、國家の繁榮、文明の發展、世界の干和に盡瘁することを以て本務とする。

この前文がイギリスの議會制度發達の歴史と理由であります。アメリカも亦然り。その他西洋の自由主義、民主々義諸國に共通することであります。その自由主義、民主々義、議會制といふものは、「それは一種の理論や一時の制度ではなく、人類文明の到達した一存在様式である。故に議員は互に信義を以て國民の付託に應へ、情理を盡して問題を討議し、公正な解決に協力して、國民の福祉、國家の繁榮、文明の發展、世界の平和に盡瘁することを以て本務とする。」これは今のアメリカ制定憲法の前文より餘程名文であり、思想も明確である。この日本憲法、マッカーサー元帥が残していつた憲法の前文なんて、およそつまらないものであります。あんな物でさへ遵奉するのだから、かういう物を可決してくれるといいのですけれども、どうも取上げない。取上げぬ理由は下の方にあるやうであります。

本文
第一條
國會議員は、日本國憲法の定める所に依る(一)國権の最高機關であり、國の唯一の立法機關である國會を組織する。
第二條
議員は(二)全國民の代表者であり、奉仕者(三)であつて、一部(四)の者の委託指令に動かされることなく、公人としてその艮心に從ふ。

まあご苦勞様にも外國の憲法を色々参考にしたのですが、これなど誰も異論のないところであります。しかしこれをやかましくいふと實際問題として大いに困る人が出てくるわけであります。

第三條
議員は日本國に封する忠誠と國法の遵守とを宣誓する。(五)

かういふことをはっきりしておかんと何を云ひ出すやらわからん。議會の開會は天皇の國事行爲である。それを天皇が議會に親臨されることに反對するなどは、大體憲法のいろはさへわかつて居らぬ、とんちんかんな話であります。

第四條
議員は全國民の代表者、奉仕者として、品格を貴び、行動を愼み、責任を重んずる。
第五條
議員は政黨を組織することができる。政黨は公黨であつて、私黨ではない。私の利害や主張を以て對立闘爭し、相排擠することを許されない。常に公正な討議に由つて賢明な解決に協力せねばならぬ。

その反對をやるものでありますから、よその國の新聞や雑誌から、日本の議會といふものは實におかしなものだ。「會して議せず。議して決せず。決して行はず。」といふやうなことを云はれる。全くどうもめちゃくちゃになつてをります。
そこで、

第六條
議員にして法の定める義務に反し、國會の秩序を紊す者は、法に遵つて懲罰を受ける。

註(一)憲法第四十一條参照
註(二)憲法第四十三條及びドイツ連邦共和國基本法第三十八條参照
註(三)憲法第十五條参照
註(四)ドイツ連邦基本法第三十八條参照
註(五)イタリア憲法第九十一條参考
これだけびしびしやつたら大分日本の議會は良くなるのですが、これも採用してくれない。この通り採用しなくても何とかしてくれればいいのだが、何もしません。

安岡正篤著
「人間の行き方」221頁より

「師と友」昭和49年1月号
思考の三原則 私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。

  第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること。
  第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること。
  第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える。
『安岡正篤 一日一言』
六中観

1.忙中閑あり

  ただの閑は退屈して精神が散じてしまう。忙中に掴んだ閑こそ本当の閑である

2.苦中楽あり

  苦中の楽こそが本当の楽で、楽ばかりでは人を退廃させるだけである。甘味な苦みの中の甘味が真の甘味である

3.死中活あり

  身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある

4.壷中天あり

  人間はどんな境地にあっても、自分だけの内面世界はつくり得る。いかなる壷中に天を持つかによって人の風致が決まる

5.意中人あり

  我々の心中に哲人・偉人を崇拝憧憬して、そうした人を懐いていることは尊いことである。何事によらず、人材の用意があるというのは大変に大事なことでである

6.腹中書あり

  腹中に哲学・信念がある。万巻の書がある

 

 

忙中 閑有り。 苦中 楽有り。
死中 活有り。 壺中 天有り。
意中 人有り。 腹中 書有り。

安岡先生のことば。はじめの三つは『新憂樂志』の説明を引用する。

一、忙中 閑有り。
ただの閑は退屈でしかない。真の閑は忙中である。ただの忙は価値がない。文字通り心を亡うばかりである。忙中閑あって始めて生きる。

二、苦中楽有り。
苦をただ苦しむのは動物的である。いかなる苦にも楽がある。病臥して熱の落ちた時、寝あいた夜半に枕頭のスタンドをひねって、心静かに書を読んだ楽は忘られない。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある。古人に「貧楽」という語があり、「窮奢」という語もある。

三、死中活有り。
窮すれば通ずということがある。死地に入って意外に活路が開けるものである。うろたえるからいけない。それのみならず、そもそも永生は死すればこそである。全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すこと、すなわち永生が実現するのである。のらくらとわけのわからぬ五十年七十年を送って何の生ぞや。

あと三つは、先生の『百朝集』の註を紹介する。

四、壷中天有り。
世俗生活の中に在って、それに限定されず、 独自の世界即ち別天地をいう。後漢書方術伝・費長房の故事に出ず。

五、意中人有り。
意中の人というと、恋人の意に慣用するが、 ここでは常に心の中に人物を持つ意。或いは私淑する偉人を、 或いは共に隠棲出来る伴侶を、又、要路に推薦し得る人材をここというようにあらゆる場合の人材の用意。

六、腹中書有り。
目にとめたとか、頭の中の滓(かす)ような知識ではなく、 腹の中に納まっておる哲学のことである。

そして先生はこの「六中観」をこう結んでおられる。

「私は平生窃(ひそ)かに此の観をなして、如何なる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」と。

安岡正篤
六然

「自処超然」

     自分自身に関しては一向物に囚われないように

「処人藹然」

     人に接するときには人を楽しく、心地良くさせるように

「有事斬然」

     事があるときは愚図々々しないで活き活きと

「無事澄然」

     事なき時は水のように澄んだ気で

「得意澹然」

     得意のときはあっさりと、淡々と

「失意泰然」

     失意のときは泰然自若と

これができたら、それこそ真の自由人である。
我われはとかく、自處紛然、處人冷然、有事茫然、無事漫然、得意傲然、
失意悄然とでもいうことになって、ここにいうように、
自分には一切捕らわれずに脱けきっており、
人に対しては、いつもなごやかに好意を持ち、
何か事があれば活気に充ち、
事がなければ水のように澄んでおり、
得意の時はあっさりして、
失意のときもゆったりしているということは、
よほどの修練を要する。

「随処に主なれば、立処皆眞」こうあらねばならぬ。

安岡正篤
人生の五計 〈日計足らず歳計余りあり〉

一日一日の勘定は赤字であっても、一年中の総勘定では余りがある。黒字になっている。こういうふうに計を立てるのが人生大家のやり方である。

  「生計」   漢方養生訓の合理性

    〈肉体的精神的にどう生きていくか養生法〉

  「身計」   いかに自己を処するか

    〈社会人としてどういうふうに自分の身を処していくか〉

  「家計」   人間教育の根本は家庭教育にあり

    〈自分の家庭をいかにして維持していくか〉

  「老計」   人生の佳境を味わうための計りごと

    〈いかに年をとるか〉

  「死計」   生死を超越した死に方生き方

    〈いかに死ぬべきか〉

安岡正篤
精神を溌刺とさせる三つの心がけ 1.心中常に喜神を含むこと

  どんなに苦しいことに遭っても、心のどこか奥の方に喜びを持つということ。人から謗られる、あられもないことを言われると、憤るのが人情であるが、たとえ怒っても、その心のどこか奥に「いや、こういうことも実は自分を反省し、練磨する所縁になる。そこで自分という人間ができていくのだ。結構、有り難いことだ」と思うこと。人の毀誉褒貶なども、虚心担懐に接すれば、案外面白いことで、これが「喜神」である。

2.心中常に絶えず感謝の念を含むこと

  有り難いという気持ちを絶えず持っていること。一椀の飯を食っても有り難い、無事に年を過ごしても有り難い。何かにつけて感謝感恩の気持ちを持つことである。

3.常に隠徳を志すこと

  絶えず人知れず善いことをする。どんなに小さなことでもよい。大小にかかわらず、機会があったら、人知れず善いことをしていこうと志すことである。何か人知れず良心が満足するようなことを、大なり小なりやると、常に喜神を含むことができる。

安岡正篤
六験法 1.之を喜ばしめて、以てその守を験す

    喜びというものは、我々の最も本能的な快感である。人間 は嬉しくなると羽目を外す。しかし我々には外してならぬ枠がある。これが守である。

2.之を楽しましめて、以てその癖を験す

     喜びの本能に理性が伴うと、これを楽という。人は公正を失って偏ると物事がうまくいかない。僻する人間はいろいろのことに障害が多い。

3.之を怒らしめて、以てその節を験す

    怒りというものは、非常に破壊力を持っている。感情の爆発だからそれをこらえる節制力を持っているのは頼もしいこと

4.之をおそれしめて、以てその独を験す

    独は絶対性・主体性・独立性を意味する言葉で、単なる多に対する孤独の独ではない。

5.之を苦しましめて、以てその志を験す

    苦しくなると理想を捨ててすぐに妥協するような人間はあてにならない。

6.之を哀しましめて、以てその人を験す

    悲哀はその人柄全体をよく表すものである。

  《これを自分に応用すれば非常に自己、人物の陶治になる》

  結局、将来を決定するもの、大にしては文明、小にしては国家であろうが、すべて将来の運命を決定するものは、その集団、そ の組織に参加する個人個人が自己を磨いて、そして、その磨か れたる自己を以て、いかにその集団に参加し、その影響を受け、また、それに影響を与えていくかにある。
   会社の中で、社員としての自己というものをいかに磨き上げて、会社の社風の影響を受けると同時に、さらに今後、会社にいかによい影響を与えていくか、社風を作り上げていくかが大切な問題である。

安岡正篤
八観法 精神の向上をはかるために

呂氏春秋

1.通ずれば、その礼するところを観る

   少し自己がうまくいきだした時に、どういうものを尊重するか、金か、位か、知識か、技術か、何かということを観る

2.貴ければ、その挙ぐるところを観る

   地位が上がるにつれて、その登用する人物を見て、その人物が解る

3.富めば、その養うところを観る

   たいていは金ができると何を養いだすか、これは誰にも分かりやすいこと

4.聴けば、その行うところを観る

   聴けば、いかに知行が合一するか、あるいは矛盾するかを観る

5.止まれば、その好むところを観る

   止まるは俗に言う板についてくるの意

6.習えば、その言うところを観る

   習熟すれば、その人の言うところを観る、話を聞けばその人の人物・心境がよく分かる

7.貧すれば、その受けざるところを観る

   貧乏すると何でも欲しがるというような人間は駄目である

8.窮すれば、そのなさざるところを観る

   窮すれば何でもやる、恥も外聞もかまっておられぬというふうになりやすい

安岡正篤
五見 1.身 見(我見)

  何でも自分本意に考えて、己を空しうして思いやることのできない利己主義的、本能主義的な考え方

2.辺 見(偏見)

  すべて物には他面があり、また全体として在る点も考えねばなりません。しかるに人は自分勝手な立場から物の一辺一面のみを抽象して、それですべてを断定しようとしがちです。

3.邪 見

  何でもありのままに、正しく観察することができず、因果の理法を究明せず、すべて否定的破壊的に考えること

4.見取見

  なまじ理論に捕らわれた考え方、真の価値を顛倒した考え方

5.戒禁取見

  真の因でないものを因とし、道でないものを道として固執する頑迷な考え方

安岡正篤
人間の四要素 徳 性

  一番大事な人間たる本質、人格としての人間たる本質というべきもの。例えば、心の明るさ、清さ、人として人を愛する、助ける。人に尽くす、恩を知る。正直、勇気、忍耐等、そういう貴い心の働きであり、これらが一番大事な要素である。

知 能

  これあるによって人が動物より抜きん出ることができたのである。

技 能

  人間が他の動物よりも発達したのは、前足を手としたからである。

習 慣

  「習慣は第二の天性・徳性である」

  スイスの詩人・哲人

       「人生は習慣の織物である」

   《人生というものを一つの美しい織物とすれば、

         この織物は美しい習慣から織られている》

安岡正篤
自己を練成していく上での大切な秘訣  「一苦一楽・相錬磨し、錬極まりて福を成せば、その福始めて久し」                                 菜根譚

寸陰を惜しむ

 どんな忙人にでも、寸陰というものはある。ちょっとした時間というものは必ずある。ちょっとした時間をつかむ熟練をすれば、案外時間はあるものである。

   「枕上」「馬上」「厠上」  それぞれ工夫して「三上」を作る

「勝因」と「善縁」

 〈良き師・良き友を持つ〉

 人生の物事を浅薄軽率に割り切らないことである。人生というものは、非常に複雑な因縁果報の網で、変化極まりないものである。

 単純に因果の論理を進めてゆく間には、多くの内容が棄てられてしまう。その棄てられるものの中に、意外に重大なものがあるかもしれない。人生社会の現実問題となると、因果関係が非常に複雑で、何がどういう縁で、どういう果を生み、どうはね返ってくるか(報)、測るべからざるものがある。

 人生の出来事というものは、たとえば何が幸いであり、何が禍であるかは、容易に分からない。

 凡俗の浅薄な考えで、これは幸福だ、これは禍だとすぐ決めるが、人生・自然・天・神の世界の真実・理法は、そんな単純な、あるいはいい加減なものではない。

 平生から、およそ善い物・善い人・真理・善い教え・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことである。これを「勝因」といい、「善縁」という。

 〈愛読書・座右の書を持つ〉

 精神的価値の高い、人間的真理を豊かに持っているような書がよい。ということは、たえず心にわが理想像を持つ、私淑する人物を持つ、生きた哲学を抱くということである。

感恩報謝の心

 人間は生きる、長ずるにしたがって、思えば思うほど、いろいろの因縁というもの、いろいろの「お陰」で自分というものができていることが分かる。そこで、このいろいろなお陰でできた自分だから、いろいろ報いなければならない。我々は天地の恩、人間の恩、道の恩、教の恩など、あらゆる恩の中にある。これにたえず報いてゆくのが生活である。

安岡正篤
人物であることの重要な条件 「理想を持つ」こと

  理想を持つと、その理想に照らして、現実に対する反省・批判が起こってくる。即ち「見識」というものが生ずる。

「見識」と「知識」は違う

  「知識」は得ることは簡単
   「見識」というものは性命より生ずる理想を追求して、初めて得られる。即ち理想に照らして、現実の複雑な経験を断定するものである。

人生に大事なのは「知識」より「見識」

  我々はいくら「知識」があって、学問があっても、日常生活の些細な問題さえ決定できないことが多い。これはつまり「知識」と「見識」が違うからにほかならない。

  「見識」とは決断力であり、直ちに行為となって現れなければならない。「見識」は実践的である。

  ところが、「見識」が実践的になるには、勇気がいる。実践的な勇気を称して「胆力」という。

  だから「見識」は「胆力」でなければならない。「見識」は進んで言えば「胆識」でなければならない。「見識」を「胆識」にまで、つまり「胆力」のある「見識」にするには理想が〈一貫不変〉でなければならない。理想の一貫不変性を称して「節操」とか「信」という。

  そうすると、我々のささやかな生活、刹那的生活が、理想という遠大なものに結ばれ、それだけ人間生活、自己自身に大きさを生んでくる。これを「度量」という。

  「度量がある」「器量がある」という本当の意味は、いかに遠大な理想を持ち、いかに「見識」があるかということ。

  「器量」ができてくるとそれだけ理想と現実が練磨されてくるから、ますます深い「見識」ができてくる。「知恵」ができてくる。

  つまり人間の深さ(造詣)が生じ、それが洗練されてくるから、そこに「潤い」あるいは「趣」といった情操がにじみ出てくる。

  このようにして人間が本当に生きるに従って「風韻」というものが生じてくる。「風韻がある」「風格がある」という芸術的存在になってくる。

〈人物を養う〉とはこういうことを錬ることである

安岡正篤
主体性を回復するための十八箇条 1.毎日の飲食を適正にやっているか?過度や不合理ではないか?

2.毎晩よく眠れるか?

3.心身に悪影響を与えるような悪い習慣はないか?

4.適当な運動をしているか?

5.生活上の出来事に一喜一憂しやすくないか?日常の出来事に軽々しく感情を乱されることがないか?

6.悲観したり、興奮しやすくないか?

7.精神的な動揺があっても、仕事は平常の通り続けうるか?

8.ちょっとした失敗で嫌になったりしないか?終始一貫していけるか?

9.常に反省して修養し、毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか?

10.仕事にどれだけ有能であるか?どれだけ今の仕事に役に立っているか?吟味しているか?

11.現在の仕事は自分の生涯の仕事とするに足りるかどうか?

12.自分の心を満足させる仕事にどうしたらなるか考えているか?

13.日常絶えず追求すべき明確な目標を持ち続けているか?

14.人に対して親切であるか?誠実であるか?

15.自分に対してやましいことはないか?

16.自分の人格の向上に資するような教養に努めているか?

17.将来のための知識・技術を修めているか?エキスパートになる努力をしているか?

18.自分は何か信仰とか、信念、哲学というものを持っているか?

 

安岡正篤
五医 1.少欲医惑

       欲を少なくして惑を医やす

2.静座医躁

       静座して躁(がさつさ)をいやす

3.省事医忙

       事を省いて忙をいやす

4.択友医迂

       友をえらんで迂(にぶさ)をいやす

5.読書医俗

       書を選んで俗をいやす

安岡正篤
病気をひき起こす十の因縁 「仏医王経」の中にある健康法

1.久坐食わず

       現代風にいうと不規則な食べ方をすること

2.食不貸

       たらふく食うこと、何でもいつでも食うこと

3.疲極

       ある限度以上に疲れること

4.淫佚

       享楽の度を過ごすこと

5.憂悶

       悶々と憂い悩むこと

6.瞋恚

       目に稜立てて恚ること

7.上風を制すること

       あくびを我慢すること

8.下風を制すること

       おならを我慢すること

9.忍小便

       小便を我慢すること

10.忍大便

       大便を我慢すること

安岡正篤
自療法十箇条 1.日常の飲食は質量共に適正か?

2.毎晩睡眠の具合はどうか?安眠熟睡ができるか?

3.自分に適当な運動をしているか?

4.自分の心身に害ある悪習はないか?

5.自分は生活上の問題に一喜一憂しやすくないか?何があっても平常通り執務できるか?

6.自分の仕事にどれだけ自信と希望があるか?

7.自分は有意義な内面生活を有するか?

8.自分は良き師、良き友を持っているか?

9.自分は日常座右を離さぬ良書を持っているか?

10.自分は独自の信念、箴言、信仰の類を持っているか?

安岡正篤
始終訓 1.人の生涯、何事によらず、もうお終いと思うなかれ。未だかって始めらしき始めを持たざるを思うべし。

2.志業は、その行きづまりを見せずして、一生を終るを真実の心得となす。

3.成功は、一分の霊感と九分の流汗に曲る。退屈は、死の予告と知るべし。

安岡正篤
徳川家康公
遺訓
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
                       
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。

己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。

 
家康公遺言 わが命旦夕に迫るといへども将軍斯くおはしませば天下のこと心安し
されども将軍の政道その理にかなはず 億兆の民艱難することもあらんには たれにても其の任に変らるべし
天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり たとへ他人天下の政勢をとりたりとも四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより 家康が本意にしていささかも うらみに思ふことなし
元和2年4月17日
家康公薨七十五才於駿府城
親父の小言

朝機嫌よくしろ
  (朝から不機嫌な顔をするな)

火は粗末にするな
  (火の始末はしっかりしろ)

人には腹を立てるな
  (人には寛容になれ)

風吹きに遠出をするな
  (悪天候で出かけるときは怪我に注意せよ)

恩は遠くから返せ
  (人に受けた恩は一生忘れるな)

年寄りはいたわれ
  (年長者を大切にしろ)

人には馬鹿にされていろ
  (いつも謙虚でいろ)

子の云う事を八九きくな
  (相手の話も聞け。でも子は信じろ)

年忌法事をしろ
  (先哲を大事にしろ)

初心は忘れるな
  (この通り)

家業は精を出せ
  (手を抜かず仕事に励め)

借りては使うな
  (安易に借金はするな)

働いて儲けて使え
  (遊ぶなら自分で稼いだ金の範囲内で遊べ)

不吉は云うべからず
  (取り越し苦労はするな,言うな)

人には貸してやれ
  (自分に余裕がある時は貸してやれ)

難渋な人にほどこせ
  (人が困っていたら手を差し伸べよ)

女房は早くもて
  (いつまでも遊んでいたらアカン)

義理は欠かすな
  (この通り)

ばくちは決して打つな
  (賭け事は身を滅ぼす)

大酒は飲むな
  (酒は楽しく飲め)

大メシは喰うな
  (腹8分目が体に良い)

判事はきつく断れ
  (自分が責任の持てない相談事には乗るな)

自らに過信するな
  (何事にも慎重に)

貧乏は苦にするな
  (人生を楽しめ)

火事は覚悟しておけ
  (天災に備えて準備をしておけ)

水は絶やさぬようにしろ
  (水の無駄使いはするな)

戸締まりに気を付けろ
  (この通り)

怪我と災いは恥と思え
  (自分の不注意で他人に迷惑をかけるな)

拾わば届け身につけるな
  (他人の物を盗るような情けない人間になるな)

小商もの値切るな
  (無駄に値切るな)

何事も身分相応にしろ
  (人生,見栄を張らずに質素に暮らせ)

産前産後大切にしろ
  (この通り)

泣きごとは云うな
  (同情されないように黙々と頑張れ)

万事に気を配れ
  (周りの人や環境に気を遣え)

人の苦労は助けてやれ
  (苦労している人には自分の事を後回しにしてでも助けてやれ)

家内は笑ろうて暮らせ
  (いつも明るく笑顔に満ちた家庭にせよ)

「大聖寺暁仙和尚のことばより(昭和初期)」
  人が想像できる事は必ず人が実現できる
ジュール・ヴェルヌ
万葉集 志貴島の日本(やまと)の國は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ

神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり・・・山上憶良は遣唐大使へ
 
言葉のちから 『「ありがとうございます」という言葉は不思議な 力を持ってます』の40項を朗読します。
プラスの言葉を使えば、運命が善くなるのです。
マイナスの言葉を使えば、運命は悪くなるのです。
これは法則なのです。法則というのは、万人に対し て平等に働くものです。運命を善くする秘訣は、プ ラスの言葉の方を多く使うことなのです。言葉が心 を定め、運命を定めるのです。
  プラスの言葉は、プラスの心を創り、プラスの運 命を造るのです。
マイナスの言葉は、マイナスの心 を創り、マイナスの運命を造るのです。自分の心も、 自分の運命も、自分の使う言葉によって定まるので す。
  人は白分の使う言葉を、自由に選択できるのです。
プラスの言葉を選んでも、マイナスの言葉を選んで も、自分の自由です。言葉は諸刃の剣なのです。
プ ラスの言葉は、自他を生かし、マイナスの言葉は、 自他を殺すものなのです。
  プラスの言葉を使えば、プラスのみを見、プラス にのみ見てゆけるのです。マイナスの言葉を使えば、 マイナスのみを見、マイナスにのみ見てゆけるので す。どちらの生き方も自由に選べるのです。
  みんなの所為で悪くなったと言えば、マイナスの 言葉を使っているのです。みんなのお蔭で善くなっ たと言えば、プラスの言葉を使っているのです。結 局は自分の言葉次第で、みんなを悪く見たり、善く 見たりしているだけなのです。
すべては自分の使う 言葉通りになっていることに、一刻も早く気付く必 要があるのです。
  マイナスの言葉を使えば、他をマイナスに見、マ イナスに思うことになるのです。他をマイナスに見、 マイナスに思えば、再びマイナスの言葉を使うこと になりがちです。悪循環になるのです。この悪循環 を断ち切る為には、プラスの言葉を使うしか方法は 無いのです。
何が何でもプラスの言葉を使うことな のです。
  プラスの言葉を使い続ければ、必ずプラスに見、 プラスに思えるようになるのです。
卵が先か、鶏が 先かの問題と、同じでは無いのです。
常に言葉が先 にあるのです。先ず言葉が先にあって、すべてはそ の後に従うものなのです。
  プラスの言葉だけを駆使し続ければ、すべてを楽 天的に・楽観的に見てゆけるのです。
神さまの御心 (全徳の無限の無限の輝き)をこの世に現す為には、 無限の無限のプラスの言葉をしっかりと駆使すれ ば良いのです。
  今迄の姿は、過去に駆使した言葉の結果です。未 来の姿は、これから駆使する言葉によって定まるのです。
自分の見ている世界は、自分の言葉による表 現なのです。自分の使う言葉通りに、自分の見てい る世界は成るのです。
  無限の無限のプラスの言葉を、寝食を忘れる程に、 一心不乱に唱え続ければ、必ず奇蹟的に現実のマイ
ナスは消え去っているものです。現実のマイナスに 対しては、『見ざる・聞かざる・言わざる』が、マ イナスを早く消し去る方法なのです。
ありがとうおじさんのお話し
  ロバート・キヨサキ金持ち父さん貧乏父さん  
  教育こそが成功の鍵だとロバートは言う。学問的な知識・技術が大切なのと同様お金に関する知識や技術、あるいは人とのコミュニケーションの技術、あるいは人とのコミュニケーションの技術も成功には欠かせない。  
  神國令(神國由来)しんこくれい(しんこくゆらい) 玉田永教(たまたながのり)京都加茂神社の神官  
 

恭(うやうやしく)以(おもんみれ)は日本は神の國なり、
神の國と申(もうす)は、
天地開闢(ひらくる)の時神(かみ)顯(あら)われまします、
是(これ)を國常立尊(くにつねたつのみこと)と申(もうし)奉(たてまつ)る、
祭る所(ところ)伊勢外宮(いせげくう)是(これ)なり、
是神(このかみ)より七代(しちだい)を過(すぎ)て、
伊弉諾(いざなぎ)伊弉册尊(いざなみのみこと)淡路(あわじ)の國?馭盧嶋(おのころしま)にて、
天照太御神(あまてらすおおみかみ)を御誕生(おたんじょう)あれまし給(たま)ふ、
天照太御神、高天原(たかまがはら)にて三種の神器を持(じ)せ玉(たま)ひ、
天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほのににきのみこと)に御授(おんさずけ)当今(とうぎん)天子(てんし)まて一百貮十六代(ひゃくにじゅうろくだい)の間(かん)連続(つづ)かせたまふ、
誠に萬世無窮(ばんせいむきゅう)の神の國なり、
士農工商皆(みな)是(これ)神の血脈にあらさるなし、
神武天皇より廿九代(にじゅうきゅうだい)宣化天皇(せんかてんのう)まて、
一千一百九十三年(せんひゃくきゅうじゅうさんねん)、
吾が神國いまた外國(とつくに)の方便(ほうべん)を知らす、
神以(もっ)て神に伝えへ、
皇(おう)以(もっ)て皇(おう)伝(つた)ふ、
萬民(ばんみん)正直(ますぐ)の外(ほか)他?(たじ)なし、
今日(いま)神の國に生(うま)れ、
神の衣服(いふく)を着(ちゃく)し、
神の吾(わが)穀(こく)を喰(くら)ひ、
神の家に居(い)て、
神の恩を報(ほう)し奉(たてまつ)る?(こと)を不知(しらざる)ものは、
實(じつ)に人面獣心(じんめんじゅうしん)なり、
儒道(じゅどう)は人皇(じんおう)十六代(じゅうろくだい)應神天皇(おうじんてんのう)の時、
始(はじめ)て渡り来る(きたる)、
佛法(ぶっぽう)は人王(じんおう)三十代(さんじゅうだい)欽明天皇(きんめいてんのう)十三年冬十月、
百済(くだら)國の聖明王(しょうみょうおう)怒利斯致(どりしち)と云者(いふもの)を使(つかい)として、
始(はじめ)て佛法経巻(ぶつぽうきょうかん)憧(はた)天蓋(てんがい)を奉(たてまつ)る、
此時(このじ)に及んて蘇我稲目(そがのいなめ)蘇我馬子(そがのうまこ)是(これ)を信仰(しんこう)して、
吾(わが)別荘(しもやしき)を寺と営(いとなみ)、
此(この)佛像(ぶつぞう)を安置す、
是(これ)日本佛法(ぶっぽう)の始(はじめ)みて、
其(その)古跡(こせき)倭(やまと)の國橘寺(きつじ)是(これ)也、
是(これ)より弘(ひろま)るは、
華厳宗(けごんしゅう)法宋宗(ほっそうしゅう)倶舎宗(くしゃしゅう)常實宗(じょうじつしゅう)三論宗(さんろんしゅう)等なり、
併(しか)し是等(これら)神國の掟(おきて)にかなわす、
遂(つい)に断滅(だんめつ)す、
夫(それ)より年数(ねんすう)立(たち)て、
天台宗(てんだいしゅう)真言宗(しんごんしゅう)浄土宗(じょうどしゅう)一向宗(いっこうしゅう)禅宗(ぜんしゅう)日蓮宗(にちれんしゅう)追々(おいおい)弘(ひろ)まる、
然(しか)れとも、
祖師(そし)の掟(おきて)を背く邪欲(じゃよく)の出家(しゅっけ)は、
神の國に住居(じゅうきょ)する?(こと)を弁(わきま)へす、
剰(あまつ)さへ、
己(おの)か神脈(しんみゃく)の血脈(けつみゃく)たる?(こと)をしらす、
利欲(りよく)を貪(むさぼ)らんかため、
世間(せけん)の人(ひと)を誑惑(きょうわく)す、
哀哉(かなしいかな)、
時の人の謀計(こと)をしらす、
抑(ただ)唯一(ゆいいつ)宗源(しゅうげん)は神の正道(せいどう)にして、
五十鈴(いすず)の霊音(れいおん)を以(もっ)て、
神國の言語を明(あき)らかにす、
萬物(ばんぶつ)幽顕(ゆうけん)の理(り)通(とお)らさる?(こと)なし、
正直(ますぐ)を以(もっ)て心(こころ)とし、
明鏡(めいきょう)を以(もっ)て體(すがた)とす、
生(うまれ)ては則(すなは)チ神明(しんめい)の恩澤(おんたく)を蒙(こうむ)り奉(たてまつ)り、
死しては則(すなは)チ魂(みたま)を上天(じょうてん)の御舎(みあらか)に歸(き)す、
希(こいねがわく)は又々(またまた)神明の冥助(みょうじょ)に依(より)て、
生(せい)を神國の得んもの也、
豈(あに)外國(とつくに)に生(うまれ)し?(こと)を願(ねがわ)んや、
胡(かるがゆえ)に太諄辭(ふとのつと)に日、
一ツ心(ひとつこころ)の源(みなもと)ヲ清(きよ)らかにして、
神代の法を崇(あがめ)、
正直(ますぐ)の根元(もと)に歸(きし)て、
邪曲(よこしま)の末法(のり)を捨(すて)、
今宗源(そうげん)なる行(ぎょう)を願ふ者也(ものなり)と、
敬白(うやまってもう)す

文政四年辛巳五月五日了

 
  文政十年の詔 仁孝天皇  
  文政十年詔 写     天保十年前後  杉百合之助
文政十年二月十六日
詔書
詔、徳を旌(あらわ)さざれば則ち勧善の道缺(か)け、賞を致さざれば則ち報功(ほうこう)の典(てん)は廃(はい)す。
征夷大将軍源朝臣(あそん)、武四方を鎮(しず)め、文萬方(ばんぽう)に覃(およ)ぶ。
久しく爪牙(そうが)の職を守り、重く股肱(ここう)の任を荷(にな)ひ、黎民(れいみん)鼓腹(こふく)の楽しみ有り、蠻夷(ばんい)猾夏(けんか)の憂ひ無し。
朝家(ちょうけ)益(ますます)安(やす)けらく、海宇(かいう)彌(いよいよ)平(たい)らかなり。
曩(さき)に、宮室(きゅうしつ)を新たにし、規模古(いにしえ)に復す。
交(こもごも)政典を修め、祭祀(さいし)廃(すた)れたるを興(おこ)す。
其の徳宏大(こうだい)にして、其の功豊盛(ほうせい)なり。巳(しで)に武備(ぶび)の重職を極む、未だ文事(ぶんじ)の尊官(そんかん)を加へず。
今太政大臣に任ず、宜しく左右近衛府(このえふ)生各一人(いちにん).近衛四人.随身(ずいしん)兵仗(じょう)を賜はり、式もって丕績(ひせき)を表(ひょう)し、
普(あまね)く天下に告げ、朕(ちん)が意を知ら俾(し)むべし。主者(しゅしゃ)施行(しこう)せよ。
用語解説
※詔書=仁孝天皇より将軍家斉に賜りたるもの。松陰の“家大人に奉別す”の詩にある「耳存文政十年の詔」はこれである。
※ 詔=こういう書き出しの詔書は異例である。
※ 旌あらわさざれば=表さざれば、に同じ。
※ 源朝臣=将軍家斉(十一代将軍)
※ 爪牙(そうが)の職=敵を防ぎ、君主を護る武人を草が爪牙(そうが)という。
※ 股肱の任=主君の手足となって働く家来を言う。
※ 黎民鼓腹の楽しみ=髪の黒い人。人民をさす。鼓腹は民の生活が安楽で太平を楽しんでいるさま。
※ 猾夏=猾はさわがす。わが国をさわがすこと。
※ 今太政大臣に任ず=生前、太政大臣に任ぜられたのは徳川将軍中ただ一人である。
※ 随(ずい)身兵仗(じょう)=貴人の護衛として朝廷から賜ったともびと。
 
  楠公墓下作の詩 頼山陽  
   三月五日、藩主慶親の駕が参勤交代の途についた日、松陰たちもともに出発した。松陰は道中を事務練達の老吏中谷忠兵衛の冷飯(ひやめし)としてその世話になることになったが、忠兵衛の子正亮も東行するので、いつも彼とつれだって、藩主の駕のあとになり、さきになって、比較的自由な旅をつづけた。正亮は松陰より一つ年下で、嘉永六年十一月に兵学門下となったが、その後も松陰に推服し教をうけ、殊に後年明倫館在学中の青年たちを説いて松下村塾に学ばせ、みずからも塾生の先輩として重んぜられた人で、松陰との親しい交際はこの旅が縁となったのである。

 三月十八日、松陰ははじめて楠公の墓を拝した。その感激は楠公墓下作の詩となった。

  道の為め 義の為めにす 豈に名を計らんや
   誓つて 斯の賊と 共に生きず
   嗚呼 忠臣 楠子の墓
   吾れ 旦(しば)らく躊躇して 行(さ)るに忍びず
   湊川の一死 魚 水を失ひ
   長城 已に摧(くだ)けて 事去りぬ
   人間生死 何ぞ言ふに足らん
   頑に廉にし 懦を立たしむ 公(きみ)死せず
   如今 朝野 雷同を悦び
   僅かに圭角あれば 乃ち容れず
   書を読むも 已に道を衛るの志なし
   事に臨んで 寧んぞ義を取るの功あらん
   君見ずや 満清全盛 宇内に甲たりしも
   乃ち幺麼(えうま)の為に破砕せらるるを
   江南十万 意に何をか為す
   楠公の外 狗鼠の輩
   安(いずく)んぞ楠公其の人の如きを得て
   弊習を洗盡して一新せしめん
   独り 碑前に跪(ぬかず)いて 三たび嘆息し
   満腔の客気 虚しく輪●(菌の草冠を取る りんきん)す

 大国支那があえなく英国にやぶれたとき、奮戦義死したものは江南提督陳化成一人であったことを想起して、松陰は楠公墓前にわが国の現実のすがたをうれえるのである。そして祖国を救うものが楠公の純忠以外にないと観念するとき、その人はいま何処にあるか。おもえば満腔の血しおがむなしく体内をめぐるのみであったのも、無理からぬであろう。が、併しそのとき、永遠に生きる楠公の魂は、すでに一人の青年の魂にのりうつっていたのである。幕末の志士たち、特に西国雄藩の心ある青年たちが、あるいは参勤交代の駕に従う途上、あるいは、あるいは遊学の途上、幾人幾度この墓に悲涙ををそそぎ、感奮興起したか知れなかったが、松陰もまた実にその一人であった。

 
  正気の歌 南宋 文天祥  
      
天地正気有り
雑然として 流形を賦(う)く
下りては則ち河嶽となり
上りては則ち 日星となる
人においては 浩然と曰い
沛乎として 蒼冥に塞(み)つ
皇路 清夷なるに当たりては
和を含みて明廷に吐く
時窮すれば 節即ち見れ
一一 丹青に垂る

******************
天地には正しい気がある
それは雑然としていて 様々な形を与える
例えば地に下れば大河や山となって
天に上れば太陽や星となる
人に作用すればそれは「浩然」と呼ばれ
みるみるうちに広がって大空、宇宙に広がって行く
政治の大道が清く正しい時に当たっては
それは穏やかな姿で朝廷にあらわれ
時が行き詰まれば節目となって世にあらわれる
それは一つ一つ 歴史に残されることになる
******************

斉に在りては 太史の簡
晋に在りては 董狐の筆(ひつ)
秦に在りては 張良の椎(つい)
漢に在りては 蘇武の節
******************

斉(春秋時代)にあっては史官の竹簡
晋(春秋時代)にあっては董狐の筆
秦にあっては張良の鉄槌
漢にあっては蘇武の節杖
******************
厳将軍の頭と為り
稽侍中の血と為る
張雎陽の歯と為り
顔常山の舌と為る
或いは遼東の帽と為り
清操 氷雪よりもはげし
或いは出師の表と為り
鬼神 壮烈に泣く
或いは江を渡る楫と為り
慷慨 胡羯(こかつ)を呑む
或いは賊を撃つ笏と為り
逆豎(ぎゃくじゅ)頭破れ裂く
*******************
厳将軍の頭となって
稽侍中の血となる
張雎陽の歯となり
顔常山の舌となる
或いは遼東の帽子となり
清い操は氷や雪よりも厳しい
或る時はは孔明の出師の表となり
鬼神も壮烈に泣く
或る時は中原を回復する為に揚子江を
渡る船の舵となる
その気概は北の異民族を呑む
或る時は逆賊を撃つ笏となり
逆賊の頭は破れ裂けた
**************
この気の旁薄する所
凛烈として 万古に存す
その日月を貫くにあたっては
生死 いずくんぞ論ずるに足らん
地維は頼って以て立ち
天柱は頼って以て尊し
三綱 実に命に係り
道義 之が根と為る
嗟 予(われ)陽九に遭い
隷や 実に力めず
楚囚 その冠を纓し
伝車 窮北に送らる
鼎獲 甘きこと飴の如きも
之を求めて 得べからず
陰房 鬼火闃(きかげき)として
春院 天の黒きに閉ざさる
牛驥 一そうを同じうし
鶏棲に鳳凰食す
一朝霧露を蒙らば
分として溝中の瘠と作らん
此の如くして寒暑を再びす
百れい 自ら辟易す
嗟(かな)しい哉(かな) 沮汝の場の
我が安楽国と為る
豈に 他の繆巧あらんや
陰陽も賊なう能わず
************
この気の満ち溢れる所は
凛烈と永遠に残る
それが日と月を貫く時
生死などどうして問題に値するだろう
大地を支える綱は正気のおかげで立ち
天の柱も正気のおかげでそびえたつ
君臣・父子・夫婦もまさに正気にその命がかかり
道義も正気がその根底と為る
ああ、私は国運の衰退に遭い
私めは努力が足りず
囚人となって冠の紐を結んで
車で最果ての北に送られる
釜茹での刑も飴のように甘いことと
願っていたのにそれもならない
暗い部屋 鬼火がひっそりと燃え
春の中庭には天が暗さに閉ざされる
牛と名馬が桶を同じくして
鶏の巣で鳳凰が食事をしているような
いつかこの湿った露に当てられて
どぶの中の痩せた屍になるも私の運命
こう思って冬と夏が再び巡る
百病も自ずから遠ざかってしまった
ああ、悲しいものだ このぬかるみが
私の安楽の地となっている
別に計っているわけでもないのに
陰陽さえも私を損なうことが出来ない
**************
顧みれば 此の耿耿として在り
仰いで 浮雲の白きをみる
悠悠として我が心悲しむ
蒼天 なんぞ極まりあらん
哲人 日にすでに遠く
典刑 夙昔に在り
風簷(ふうえん)書を展べて読めば
古道 顔色を照らす
************
考えてみれば 正気は光輝いて
仰いで雲の白さを見る
私の心の悲しみ
この蒼空はどこに果てがあるのか
哲人のいた日々はすでに遠く
優れた模範は昔にある
風の軒端で書を広げて読めば
古人の道はが私の顔色を照らしてくれる
**********
 

(参考)
太史簡 斉の宰相崔杼が、主君霊公を殺したとき、事実を隠蔽しようとした。
しかし、職務に忠実な史官は「崔杼、其の君を弑す」と記録した。
怒った崔杼はこの史官を殺したが、そのふたりの弟も同じように書き殺され
4人目の弟がついにそれを記録に残したもの。
董狐筆 晋の宰相趙盾は、時の悪名高い君主霊公に諫言をして
命を狙われ亡命をすることにした。
後に、一族の趙穿が霊公を暗殺し、趙盾を呼び戻し、宰相に復位させた。
しかし、君主を殺したのは事実であるから、
当然趙穿は罰せられなければならないはず。
それをしない趙盾を非難した史官の董狐は,「趙盾が君主を殺した」と記した。
張良椎 張良は韓の貴族出身だが、秦の始皇帝に国を滅ぼされるや家財をなげうって、大力の者を雇い120斤の鉄槌を始皇帝に投げつけさせ
暗殺を企てたが失敗に終わってしまった。
蘇武節 漢の武帝の時、匈奴に使者に行ったものの捕らえられた蘇武は、
19年間皇帝の使者である印の「節(旗杖)」を離さなかったというもの。 
厳将軍頭 三国時代、玄徳が四川に侵入した時、張飛に捕らえられた厳顔は投降を進められたが、
「我が国には頭をたれる将軍はいても降伏する将軍はいない。」と答え
張飛を感服させた。
稽侍中血 晋の内乱で恵帝の身が危なくなった時、
侍中の稽紹は身をもって皇帝を庇い、死んだ。
その彼の血が恵帝の着物を赤く染めたが、
それを恵帝が洗わずにおいたという故事。
張雎陽歯 唐の張巡は安禄山乱に於いて、雎陽を死守し、
戦う度に歯軋りをしたので歯が全て抜けてしまった。
捕らえられたとき「気をもって逆賊を飲み込もうとしたのだ。」といった。
顔常山舌 唐代の有名な書家顔真卿の従兄弟の顔杲卿は
安禄山を罵ったため舌を切られても屈せず、ついに殺された。
遼東帽 後漢末、管寧は黄巾の乱を避けて遼東に移り、
曹操が幾ら招いても応じなかった。
質素でいつも薄絹の帽子をかぶっていた。
出師表 孔明が魏を討つために兵を出そうとした時、
蜀の後主劉禅に奉った書簡。古来から忠誠の書と言われる。
渡江楫 東晋の名将祖逖が北方の奪われた地の回復を目指し、
兵を率いて揚子江を渡った。
「異民族を倒せなかったら、2度と帰らない。」と誓って
ついに土地回復を為した。
春蘭曰く

まずは、文天祥さんについて、首席で進士に合格し、出世街道まっしぐらと思われた彼。時の権力者賈似道とあわず(いえ最初は気に入られていたみたいですが、賈似道の母親が死んで賈似道が服喪するために宰相を辞任しなければならないのに、居座ろうとしてたのを非難してしまってから嫌われたみたいです)退官していた時が多くありました。元の軍が南下して、賈似道が失脚すると文天祥は、いよいよ政治の表舞台に上がりましたが、時すでに遅く、南宋都の臨安が元軍の手に落ちると元の伯顔(バヤン)のもとに使者として赴きますが、捕らえられてしまいます。なんとか脱走に成功して、その後も孤軍奮闘するが、ついに敗れ捕虜となり、南宋滅亡後は、燕京に送られ、再三の帰順にも応じず、4年の獄中生活ののち処刑されました。死後は、忠烈の士の代表人物として深い尊敬を受け、日本では明治維新の志士たちの尊敬の的であったらしい。

「正気」はしょうきと読まずせいきと読みます。天地の正しい気のことです。その気は、様々な形となって時代を彩ってきました。何千年も昔から。我が国の明治維新の志士たちの手本であった彼。そして彼も自分の手本になる人をたくさん持っていました。
彼は庶民や部下たちには絶大な人気を誇っていましたが、朝廷内の同僚たちには嫌われていたようです。過激であまり現実味のない意見が多かったもので。
こういう方っていらっしゃいますわよね?

 
  忠誠の系譜について 和気公−大楠公−松陰烈士酒井利行  
 

http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/sakai.htm

本文は平成四年一月三十日に、本誌に対して特別にお話しされたものの要約です。

 わが國史上第一番に御登場願わねばならぬのは矢張り山田石川麻呂公ではないか。大化改新の功労者であり乍ら、あらぬ冤罪により一方的に攻め立てられる。それに対し一言の抗弁もなく「生々世々君王(天皇)を怨まず」との遺誓のもと一族と共に自刃し果てる。
  が、私が今迄の生涯で最も身近な御存在が和気公・大楠公・松陰烈士御三方であるので、この線に治って卑見をのべさせて頂く。
  と云うのは、私事に亘るが、和気公には二十五年、大楠公には現在迄に十年、生ける御神霊の膝下日夜御奉仕の栄に預った。又松陰烈士には終戦直後思い決する所あり、特に東京世田谷の松陰神社御本殿真裏に下宿を求め、約一年半程神職ではないが、謂わば草莽布衣の一祀官の心積りで毎朝夕神前に拝跪些か祈念をこめた。
  さて和気公・大楠公・松陰烈士の御三柱が大体五百五十年間隔で次々と生れ変って来られた様に思えてならぬ。
  先ず、和気公・大楠公について述べ、その大先達二者より綜合的に受容転生を遂げられた稀有の存在松陰烈士については最後のまとめとしたい。
  和気公・大楠公の史上に於ける酷似点を挙げるとすれば、六点程ある。
  第一は、二公何れも祖國非常の機、天皇の霊夢により召出されていること。
  第二は、その時の決意を披瀝しての奉答振り。
  第三は、それ以降の生涯の忠誠振り。
  第四は、最期の絶命遺誓の辞。
  第五に、子孫一統の祖志継承。
  最後に、現在に於ける宮闕奉護の姿態。

 第一、妖僧道鏡、女帝称徳天皇の御寵愛に乗じて禅師・太政大臣はおろか法王なる「極位」にまで登り横暴の限りをつくす。遂には宇佐八幡宮の偽詫にかこつけて皇位の簒奪を迫る。
  さすがの女帝も萬世一系の皇位を臣下に譲るは前代未聞のこととて大いに宸襟悩ませられ、挙句の果て陛下の夢枕に宇佐の使神なる姿が現れ未明を待ちかねて和気清麻呂召し出される運びとなる。
  廷臣としては従五位ノ下、昇殿もままならぬ謂わば道鏡にとっては無名の存在である。直ちに宇佐に出向き神託の真偽を篤と伺ってこいとの勅命を蒙ったのが時に三十七才。(神護景雲三年−769年)
一方、大楠公の場合は、有志御承知の通り、忝くも一天萬乗の大君たる後醍醐天皇、北条軍に追い立てられる様に急拠あの笠置山に御遷幸、へとへとに疲れきられた翌日のうたた寝の夢にはっとめざめて、その南庭の状景を占われ急拠赤坂の里なる楠木正成に勅諚を伝えさせられる。
  「弓矢取る身の面目何事かこれに過ぎん」とて韋駄天の如く笠置山頂へと馳せ参ずる。原典太平記の劇的な場面だ。(元弘元年−1331年)時に三十八才の一兵衛の身。

 第二、お召しを受けてのその時の闕下奉答振りはどうか。前者の和気公については何れの文献に徴してもその言が出てこない。が必ずや決意の程を畏こまって言上されている筈だ。
  幕末風雲急を告げる嘉永四年、孝明天皇の格別の思召により正一位護王大明神なる神階神号が京の洛西高雄山神護寺境域に祀る「和気公霊廟」宛、宣下された。
  その神護寺の寺宝に「我独慙二天地一」なる版木があり、まぎれもなく和気公の真筆によるものとされている。(現在は旧別格官幣社護王神社社宝として移管)
  恐らくこの様な意味の言上があったのではないか。我れ独り天地に慙(ハ)ずとは如何にも消極的に受取られ勝ちだがそうではあるまい。
  弓削道鏡をのさばらせ、遂に皇位簒奪せんとの大逆に到らしめたのは一 (イツ)にかかって不肖私の常々の忠勤の至らなさにございます。勿論当の本人たる道鏡も悪いが、それよりも何よりも私の力不足の責任です。どうぞ天地(八百萬神々)よ私をとがめて下さい。ただ皇國の命運まさに宇佐八幡の二言にかかって居りますれば、私如き微官乍ら必死一人(イチニン)以って重責を果させて頂きます。どうぞ大御心安けく私の帰参復奏の時をお待ち下さい。
  「我独慙天地」の反語としてこの様に言及もされよう。
  次に大楠公の場合、之れ亦太平記の圧巻とてどなたも口ずさんで居られる様に「正成一人(イチニン)未だ生きて有りと聞召し候わば、聖運遂に開かるべしと思召し候え」。如何に大御心を安んじ奉ったか往時を推察して余りある。

 第三、両公生涯を賭けての忠誠振り。和気公は見事重責を果され、道鏡失墜後の特に行政面での恬目すべき業績の数々。人心の抜本塞源的壮大なる意図による奈良より京都への遷都への進言と造宮太夫として現在の京都をして王城千年の礎を築かれたこと。
  更には都市仏教の弊(道鏡如きを輩出せしめる余地あり)を革め、都の周辺に王城鎮護の聖使命を持たせての山岳仏教化、宮廷大学の南辺の自邸を全面開放して図書館を兼ねての教学刷新の場としての弘文院の創設。(その後藤原氏の勧学院、菅原氏の文章院、橘氏の学館院、弘法大師の綜芸種智院等、続々と官学たる大学に対して私学のブームを呼んだ。和気公の先見の明や大)
  大臣の枢要の地位に居られたから公私に亘り行政文教面に於いての功績は枚挙に憩ない程だ。御英邁なる桓武天皇のもと忠節を抽(ヌキ)んでて「延暦維新」の推進役を全うされた。(延暦十八年帰幽六十六才。)
  正成公、笠置の行在所に土下座烈々たる奉答してより五年間それこそ息つく暇なき許りの純忠至誠の言動の終始、このことは皆さんよく御承知だと思うので今更喋々する迄もなかろう。
  ただ、延元元年二月打出浜の戦で決定的敗北を喫した高氏の残兵、生命からがら九州くんだり迄逃げのびたが、何ものの加勢を得てか百日足らずの間に水陸百万(太平記)の軍勢をとよもして都へと逆襲の報が届く。
  急拠御前にて作戦会議が開かれ、負けて勝つとの正成の深慮遠謀策容れられず、「此上はさのみ異議を申すに及ばず」(太平記) 「正成存命無益なり、最前に命を落すべし」(梅松論)とて僅か数百騎を引き連れ孤影粛々と湊川へと赴く運びとなる。
  勿論、途中桜井の里にて一子正行へ切々と庭訓を垂れて後事を托した条りは「青葉茂れる」の歌唱と共に涙なきを得ない。
  さて決戦前夜たる延元元年五月廿四日湊川の会下山に陣を占めてその足で新田公の陣営を訪れて居られる。
  深夜に及ぶ迄酒を掬み交わし乍ら談義が交わされたが、正成公はどこまでも新田公に一命をかけてもかばうこと、何故なら愈々明日に迎える湊川の合戦はどう考えても勝目はない。だとしたならば源家の嫡流たる新田公を出来れば一戦をも交えさせずして皇軍の虎の子たる二万何がしの軍勢共々都へと引返させること。
  その為に自分が果してどれだけの時間持ちこたえ得るか、貴公をかばいだて出来るか、ともかく高氏兄弟百万の来襲に立ち向う。
  貴公同様源義家を遠祖と仰ぐ源家の棟領株高氏が反逆した以上、天皇が最も頼みと思召されるは貴公以外にない。恥も外聞も一向お構いなく急ぎ御帰洛ありたいと切に申入れるも、義貞これを受けず遂に世紀の決戦たる廿五日の湊川の戦に突入する。大楠公には名利名達如き俗欲はもとより一片の身命をも大義のためには些かも惜しまれない。
  勿論三刻(ミトキ)六時間に亘って阿修羅の白兵戦血戦が十六回も重ねられ、遂に七百の精鋭殆んど屍を曝らして漸くに息絶え絶えの正成公以下一族郎党七十三人梅雨どきの湊川の激流を渉って寺坊に辿りつき、あわれ殉節を全うされた。(延元元年五月廿五日、時に四十三才)まさに一点の私心なき至誠純忠の権化である。

 第四、和気公生命革(アラタ)まれると自覚され、介護の者をして身清めの上朝服に改められ、一族を背後に侍らせてこの様に遺言起誓された。
  「我れ死すとも心神常に王城(皇居)に向い、日夜王城を拝護せん」(護王大神記)
  肉身如き朽つるとも魂魄は永遠、四六時中ただただに皇統無窮、国体護持の霊的大任に永生奉公せん、この様な最期の御遺誓あってこそ、「護王大明神」と仰がれる所以が存する。
  正成公一統集結(現・湊川神社本殿西隣)、やおら楠公兄弟の問答を最後に天晴れ殉節される。「抑最期の一念に依って善悪の生を引くと云えり、九界の間に何か御辺の願いなる」との兄正成公の問いかけに弟正季、最後の気力をふりしぼって「七生まで只同じ人間に生れて朝敵を減ぼさばや」と応える。素晴らしい絶命起誓の辞だ。
  が間髪を入れず正成公声を大にして「罪業深き悪念なれども我も斯様に思う也」と合槌を打たれる。壮絶鬼神をも面そむけさす崇高な場面であり、爾来「七生滅賊」なり「七生報国」なり恰好のキャッチフレーズとして濫用され勝ちだが、この際特に「罪業探き悪念」と迄何故仰言ったか篤と省みることが大切と思う。
  恐らく太平記作者の舞文曲筆でもあろうし、当時の風潮である遠離穢土(オンリエド)・欣求浄土(ゴングジョウド)との仏説になじんでの寂滅為楽(ジャクメツイラク)のはかない思いが反映しておろうが、大楠公は先ずこれを全面否定されたのだ。
  所詮この世は仮の世、自分にとつては一過性の人生だ。が緑あってこの世に生れた以上、仮令仮の世であっても死ぬ迄ベストを尽くす。そうすれば本当の永生の世であるあの世で後生安楽が保証される。
  だから往生際悪く、この後の世に何時迄も未練を残す。「七生」は言葉の綾で七度十度百度千度永遠にということだ。
  そんなすさまじい思いはとんでもない了見違い、仏罰深重だ。仮にせめて一度でもこの仮の世に生れ変り得たとして何をするのか。「朝敵を滅ぼさばや」。とんでもない殺生だ。虫の子一匹殺しても殺生、況してや人命をあやめるとは何事ぞ。
  よしや名目上朝敵であろうと、永遠に生れ変ってその都度大殺生を繰り返す、とてもとても赦されざる罪業、仏罰深重地獄行きだ、こんな風に受けとられる。
  世間がそう思い込んでいても糞食らえだ。仏罰を受けて未来永劫堕地獄結構。閻魔を突きとばしてもこの世に生を変えて朝敵一人残らず減尽せしめるのだ。さあ御一統地獄往きだ!この様に脚色づけたくなる。
  大楠公御一統には、死んだらどうなる、天晴れ忠臣として讃えられ後に続く者を感奮興起せしめんとか、全く逆に国賊と踏んづけられて門葉枯れ果てはすまいか、等等の功利打算の一点すらない。
  あるものはただただ天皇近衛国体護持の至純至誠これのみ。以上の殉節の刹那をこの様に承け継ぎたい。

 第五、和気公の皇統御守護大任全うをめでられて以降、即位や邦家の大事に勅使として宇佐八幡宮へ差遣される光栄の「宇佐使」には必ず子孫筋が拝命した。
  又、何時しか典薬頭(テンヤクノカミ)として陛下側近に侍り、あの承久の変で後鳥羽上皇絶海の隠岐へと播遷(ハセン)させられ給うた時随行して御身辺に仕えたのが和気公子孫。同様順徳上皇の佐渡島の場合もこれ亦子孫が玉体安穏に精魂をつくすなど、子々孫々の忠勤振りは護王大明神たる御先祖清麻呂公の遺誓によくぞ応えている。
  では楠公末裔の場合はどうか。阿修羅顔負けのすさまじい執念振りだ。吉野朝を甘言を弄して京都へとおびきよせ結果的に皇位の御しるしたる神器を簒奪した当の足利将軍こそ天誅物。
  三代義満、六代義教、八代義政と次々に暗殺せんとの挙に出たのが何れも楠公正統の子孫。この中間には皇居に押入り例の神器奪還という未曽有の大事件に及び、為に時の帝より「朝敵」たるの勅勘を蒙った。
  大楠公湊川殉節後実に二百二十三年振り、或る者のとりなしによってその朝敵勅勘が解かれた次第だ。
  「罪業深き悪念なれども七生滅賊」の楠公一統には、忠臣扱いされ様が朝敵大悪党として踏んづけられ様が一向に意に介されまい。
  純忠一途の生きざまによくよく思いを凝らしたい。

 第六、和気公・大楠公共謂わば文武の二大忠臣として景仰され現に皇居御濠端竹橋寄りに佐藤玄々畢生の謹作和気公の銅像が厳然とお立ち遊ばす。
  勿論二重橋前御苑には高村光雲謹作の大楠公騎馬像。さながら左・右大臣、左・右衛門督としての御姿だ。至誠至忠の両公帰幽後の図らずも蒙って居られる殊遇だ。
  さて最後は松陰烈士だが如上の和気・楠木両公のすべてを継承見事転生されたとしか思えないめざましい生涯を、あたら三十の若い身空に散らされた。
  先ず松陰烈士の長からざる生涯を概見するに、神童の誉高い幼少の砌りより格別に藩主毛利公に目をかけられ山鹿流兵学の家筋とて特にそうした面に心を砕き営々研磨につとめられた。
  折しも幕末風雲とみに急を告げ、今こそ兵学者たる拙者御奉公の機と藩内に安居を貪るを潔しとしない。
  遇々藩公の御伴をして江戸への旅次、水戸光圀建立の「鳴呼忠臣楠子之墓」を詣で感激の余り朱舜水碑文の石摺を需め更には伏見の宿で「楠公墓下の作」を詩賦する。江戸に着き藩主の許しを得て水戸に短期遊学、特に「新論」の著者として当時名声赫々たる会沢正志斎等の馨咳に触れ「身皇国に生れて皇国の皇国たる所以を知らざれば何を以ってか天地に立たん」との感慨に打たれる。
  忽ちに留学期限も切れ、やむなく同志と二人して脱藩覚悟の東北行脚に出で発つ。
  攘夷の為の海浜防護で一番手薄なのが東北、遂に本州最北端竜飛岬まで到り着く。
  その挙句江戸に帰って下屋敷に届け出れば、脱藩の廉で蟄居の厄に遭う。程なくして佐久間象山の指嗾を受けて下田踏海の廉で重罪を受け野山獄に投ぜらる。
  獄中つらつら省みて、自分の今迄の言動は何んだったのか。もとより国家存亡の非常の渦中、自分はやせても枯れても山鹿流の兵法家だ。今こそ全身全霊を挙げての御奉公の機と鋭意専念その事に当ってきた。
  が、黒船が来襲するから一大事だ、それ沿岸を固めよ、台風がくるから屋根の補強を− これらは事大主義的事務策に過ぎない。何故かなれば外敵がこなければ、台風が見舞わなければ、ふだんの備えはさして要がない。この発想は本末転倒。何が来ようが来まいが常に心し、常に万全の誠を尽くす対象こそ皇室、天皇あっての軍備自衛であり、天皇あっての凡てだ。
  ああ、今迄の過去半生何をしてきたかと慨嘆措く能わず。偽勤皇と自らを決めつけ、今、この刹那のたった今真勤皇に目ざめた。
  覚醒した今から余命幾莫か、至誠勤皇一途に燃焼せん。この様な遺文に接する。
  私は安政三年(一八五六)獄裡廿七才の松陰烈士にこそ転生の鮮やかさを感ずる。
  「天下は一人の天下に非ざるの説」を完膚なき迄に反駁、日本と他国(支那)とは国柄が本質的に全く違う。若し彼の桀や紂如き暴君が出られたらどうするか。支那では待ってましたと許りその帝王を追っ払って自分が最高権力の座につく。革命・放伐という奴だ。
  日本は断乎として然らず、側近の士陛下へ直諫して後身の始末をつける。心ある国民宮闕のもとにひれ伏して陛下の御感悟を悃祷する。祈りに祈り精魂つき果てて祈り死にする。
  ここに日本人の生きざま死にざまがあるのだと、幕府御用学朱子学の根本批判に徹底する。
  幕閣幹部何がしの要撃策が知られて遂に極刑に処せられることになる。
  その刑死十日前一友へ書簡をしたためて曰く「(皇祖の天壌無窮の)神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時必ずあるなり、只今の時勢に頓着するは神勅を疑うの罪軽からざるなり」添え歌「皇神の誓いおきたる国なれば正しき道のいかで絶ゆべき」
  こうして最後には天皇信仰の白熱的至境に立到った松陰烈士の短き生涯こそ国体擁護の権化たる和気公そのものであり、純忠無比の大楠公のそれであろう

  時間も大分費し御意図から外れた話しっぷりに終始して了ったが、有名な松下村塾も強いて結びつければ和気公の弘文院の継承とも感じられ、人材育成、回天御一新の志士を輩出せしめた勤皇教育者たるの松陰烈士の真骨頂とも仰がれる。
  次に二十二才江戸遊学途次の楠公碑に感じての詩作はもとよりであるが、安政三年二十七才の時の「七生説」の意味するもの深重極まりない。
  ここに楠公への転生悲願の歴々たるを看る。松陰烈士真勤皇宣言時の矢張り二十七才の時点で大楠公笠置言上より五百三十戴、和気公より大楠公への五百五十載の転生間隔とほぼ同じ。
  天の配意か、奇縁をかしこまざるを得ない。私事乍ら毎朝夕神霊御三体を居間に祀って余念なく身近かに拝脆し参らせている。

民族戦線 平成四年三月二十日(第53号)より

 
  謁楠河州墳有作 頼山陽  
 

 幕府の勢いは 表面的には その絶頂期を迎えていましたが、既にその裏で 幕府瓦解の足音が忍び寄っていた 寛政九年 ( 一七九七 )、十八歳の 頼山陽は、江戸詰になった叔父の 杏坪 (きょうへい) に従って 江戸に出、昌平坂学問所で学ぶことになった。 いわゆる 東都 ( 江戸 ) 遊学 です。  山陽は 広島を発って 江戸を目指す途上、湊川に楠公墓を詣でました。 この時、 「 湊川 」 と題する 律詩二篇を作りましたが、この二篇も その翌年の西帰の途に、再び墓碑を弔ったさい、 「 謁楠河州墳有作 」 ( 楠河州の墳 (つか) に謁して、作る有り ) と題する 堂々たる 長古詩になっています。
  つまり その翌年の 寛政十年、江戸遊学を終えた山陽は、杏坪 の下番を好機として、これに従って江戸を発ち、帰省 西下の途上、再び 湊川の戦跡を訪ね、あらためて建武の忠臣をしのび、万斛 ( ばんこく ) の涙を注ぎました。 そして詠んだのが 以下の長篇の古詩 「 謁楠河州墳有作 」 です。 この雄篇は、 「 蒙古来 (もうこらい) 」 と共に、詩壇における 山陽の出世作 となって、一世に喧伝されたものであります。
  この詩では 楠公の人となりが、頼山陽 の名文にのって 的確に表現されていますので、この詩をとり上げてみることにします。
         謁楠河州墳有作
             ( 楠河州の墳 (つか) に謁して、作る有り )

     東海の大魚 鬣尾 (りょうび) を 奮(ふる) い
      黒波(こくは) を蹴起(しゅうき) して 黼?(ふい) を汚(けが) す
      隠島 (いんとう) の風雲 重ねて惨毒(さんどく)
      六(りく) 十余州 すべて鬼? (きき)
      誰か 隻手 (せきしゅ) をもって 妖氛 (ようふん) を排(はい) す
      身はあたる 百万 哮? (こうかん) の群
      戈 (ほこ) を揮(ふる) って 回(かえ) さんと擬す 虞淵 (ぐえん) の日
      ? (すき) を執(と) って 同(とも) にほる即墨 (そくぼく) の雲
      関西 自(おのずか) ら 男子の在る有り
      東向 (とうこう) なんぞ 降(こう) 将軍とならんや
      乾 (けん) を旋(めぐ) らし 坤 (こん) を転じて 値遇 (ちぐう) に答え
      輦道 (れんどう) を 洒掃 (さいそう) して 鑾輅 (らんろ) を迎う
      功を論ずれば ?陽 (すいよう) 最も力あり
      みだりに称す 李(り) 郭(かく) 天歩を安んずと
      出でては将(しょう) 入(い) っては相(しょう) 位(くらい) いまだ班(はん) せず
      前狼(ぜんろう) 後虎(こうこ) こと また艱(なや) む
      策を帝? (ていこん) に献ずれども 達することを得ず
      志を軍務に決す あに生還せんや
      かつ 児輩 (じはい) を余(あま) して 微志 (びし) を継(つ) がしめ
      全家(ぜんか) の血肉(けつにく) 王事につくす
      南柯 (なんか) 旧根 (きゅうこん) を 存する有るに非ずんば
      北闕 (ほつけつ) を偏安 (へんあん) して 何(いず) れの地にか向かわん
      摂山は逶?(いい) として 海水は碧 (みどり) なり
      吾れ来って 馬を下(くだ) る 兵庫の駅
      想い見る 児に訣(わか) れ 弟を呼んで 来って此(ここ) に戦うを
      刀は折れ 矢は尽きて 臣が事おわる
      北向 (ほくこう) 再拝すれば 天日くもる
      七たび人間 (じんかん) に生まれて 国賊を滅さん
      碧血 (へきけつ) 痕 (こん) は化す 五百歳
      茫々 (ぼうぼう) たる春蕪 (しゅんぶ) 大麦(ばく) を長ず
      君見ずや 君臣あい図り 骨肉あい呑む
      九葉 (きゅうよう) 十三世 何の存するところぞ
      何ぞ如(し) かん 忠臣 孝子 一門にあつまり
      万世の下(もと) 一片の石
      無数英雄の 涙痕 (るいこん) を留めんには
      ( 原漢文 )

 以下は、この詩の大意で、名著  「 安藤英男著 頼山陽傳  近藤出版社 」  で述られているものです。

   ( 大意 )

      かの四天王寺に秘蔵する 聖徳太子の未来記 ( 上宮太子讖記(しんき) ) に、
      人皇九十五代にあたって、東魚が来って西海を呑むと記された 不吉な予言が的中して、
      あやしき大魚( 北條氏 ) は鰭(ひれ) をふるい尾を動かし、黒波を蹴立てて玉座にせまり、
      後醍醐天皇を 海中の孤島、隠岐の島に遷しやって、その荒き波風にあてさせ、
      後鳥羽上皇と同じような 辛き境遇にあわせた。 このとき六十余州を照覧したまえる
      日月の光はかくれ、全土は挙げて鬼?(きき) のごとき悪徒たちの跳梁(ちょうりょう) に
      委ねられた。   
       このとき、敢然として悪気を払い、猛り狂える賊どもを討伐せんものと、百万余の大兵と
      戦い、戦いたけなわにして日没せんとするや、戈(ほこ) をふるって日をさし招き、
      落日を既墜 (きつい) にかえした魯陽(ろよう) 公のごとく、また、一度び危急に瀕せる
      朝廷の頽勢 (たいせい) を挽回せんと力戦し、その兵士と苦楽を共にすること、あたかも
      即墨(そくぼく) を孤守して、兵卒と共に城壁の破損をつくろったという田単(でんたん) の
      ごとく、悪戦苦闘、しかも気節を昂然と持して、関西おのずから男子ありと叫び、
      敵の勧降に応じなかった魏の高歓(こうかん) のそれと同じく、さいごまで勤王のために
      万丈の気をはいた者は誰人ぞ。 これこそ、楠木正成公その人であったのだ。
       いったい楠木正成公は、率先して勤王の義軍をおこし、ついに天運を再転せしめて、
      天下を武家の手より奪いかえし、輦道を掃い清めて、天子を皇宮へ迎え奉り、
      建武の中興を成すにいたらしめた。 その功績のほどは、かの開元天宝の乱における
      張?(ちょうすいよう) にも比すべきもので、中興の功績第一に推されるべきである。
      しかるに、意外にも李光弼(りこうひつ) や郭子儀(かくしぎ) と同程度の 新田義貞、
      足利尊氏らが、天運回復の最大の功臣と称讃をこうむるにいたった。
       正成公こそは、軍職にあっては征夷大将軍たるべき器量があり、朝廷にあれば宰相たる
      べき能力を保有しながら、ついに所を得ず卑位 (ひい) に甘んじねばならなかった。
      しかし、いくばくもなく、前狼後虎 (ぜんろうこうこ) のたとえのように、足利氏の反乱に
      あって、天下は再び多端 (たたん) となるにいたった。 正成公の献策は実行せられず、
      事の成らざるを予め知りはしたが、一度び勤王のために蹶起した以上、もとより生還を
      願ってはおらず、ついに湊川で死地についてしまわれた。
       しかし正成公は、それだけに止まらない。 その子孫を遺して志を継がしめ、
      これがため 一家・一門の血肉は、ことごとく王事に全滅するにいたった。 しかも、
      正成公の志を 継承した楠木の遺族たちがいなかったら、南朝方は吉野の行在 (あんざい)
      すら守護することができず、正統の天子をいったいどこに蒙塵 (もうじん) させたら
      いいというのであろうか。
       私は摂津の山々が、峯を連ねて横たわり、紺碧の海水をかこむ湊川に来て、昔日の
      戦いをありありと思いうかべた。 正成公は、青葉茂れる桜井の駅に、わが子の
      正行(まさつら) と訣別し、弟の正李 (まさすえ) とあい携えて、この地に押し寄せる
      足利の大軍を引きうけて激闘半日、衆寡敵せず刀おれ矢つきて、ついに臣が事
      おわれりと、いよいよ最期の時の来たことを覚られると、おりから北天の空が暗澹たる
      雲におおわれ、日光も光を失える京都の方を伏し拝むこと二度、七度び人間に生まれて
      この賊を滅ぼさんと誓いつつ、正李と刺し違えて戦死されたのである。

      それから今日まで五百年、忠臣の鮮血を吸った土も、もはや痕跡 (こんせき) をもとどめず、
      往年の戦場も太平の恵沢 (けいたく) をうけて田野となり、春野の草には、大麦が
      涯(はて) もなく生い茂っているのみである。 ひるがえって、かの君臣たがいに陰謀を
      もってあい凌ぎ、親子兄弟で勢力を争って鎬をけづった北条氏九代、足利氏十三代は、
      まこと空名栄華(えいが) で跡かたもないではないか。 
      それに引きかえ、たとえ非命にたおれても、忠孝・孝子を一門にあつめ、万世のもとまでも
      一碑(いつぴ) ( 水戸光圀の建碑 ) よく無数の英雄を感激させる楠木正成公の栄誉とは
      較べものになろうか。

 
  伝教大師  
  道心のなかに衣食(えじき)あり、衣食のなかに道心なし  
 

報怨以徳・・・怨みに報いるに徳をもってせよ

 
  忘己利他(もうこりた)  
  良寛  
  欲なければ一切足り 求むる有りて万事窮す  
  人のために働くには勉強しなければならない  
  志2013/1/20 上甲晃  
 


人間的魅力を高めていこう。

人間の根っこを良くしていこう。

教育は一生付きまとう。

目の力は意志の力。

人生は思い以上の結果は出せない。

目標が小さいと結果も小さい。

全てはその気が大事である。

イチローの小学6年の時の「僕の夢」・・・

「とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」

根室高校には東京大学に入学したものが一人もいない・・・皆さんに「その気」がないからだ。

自分の得意分野で日本一になれ。

この一点だけは誰にも負けない。

松下電器は電気製品を作っているのではない、人間を作る会社です。

知識も技術も資格なども大事、しかしそれらは人生の道具でしかない、

それらを使う人間が立派でなければならない。

自分の人間力を高める。

人間的魅力。

自分の利益に熱心な人は嫌われる。

他人の利益に熱心になることが大事。

お客様の利益に熱心になる。

自分の利益に執着せず、廻りの利益を考えることが大事。

他人に関心を持ち、他人の為に惜しげもなく力を差し出す。

心理は平凡の中にある。

磁力が弱ければ、砂鉄もひっつかない。人間的魅力が弱いと・・・

どこでもやっている当たり前のことを徹底してやれ!

そこまでやるか!?

一流とは隅々まで行き届いている。

志道。

座布団の上に乗ってはいけない。

3つの力

@志力

A自力

教育の3原則=不便・不自由・不親切

自分でつかめ・・・幸之助の言葉

自ら問いを発し、自ら答えをつかめ。

苦労をして初めて学べる、感動する。

一流とは妥協のないこと。

幸之助は一切妥協しなかった。

B底力

木村秋則さんのリンゴの木は根っこがしっかり張っている。

みんながその気になることが大事。

相対差の世界で競争してもダメ、絶対差の世界で競争する。

はい、喜んで。

小さな仕事で小さな親切をされたとき。

人の嫌がることを、「はい、喜んで!」やると、運命が変わる。

決断が条件をそろえる。

この世に無駄な人はいない。

知ってるだけの人を育てるだけではだめ、出来る人を育てることが大事。

生命の根っこが大事・・・料理。

食事づくりと掃除・・・身の回りをきちんとする。

宮脇 昭   森の防潮堤

辰巳芳子

 

 
  武 豊  
  八風不動  
 
あなたの人生を支配するのは、あなたの考え方・習慣です。

現在のあなたは全てあなたが考えてきたことの結果ですし、人の一生はその人の考えが作り出しています。

そして人間は心構えを変えることによって初めて自分の人生を変えることが可能となります。

あなたの人生が成功の人生、幸せな人生となる為には、幸せになる為の心構えを作り上げることが必要です。

その為のセルフモチベーションを確立することです。